1. TOP
  2. 映画
  3. 昭和の名作邦画 1950年代懐かしすぎっ!

昭和の名作邦画 1950年代懐かしすぎっ!

昭和 映画館

【1950年代の背景】

テレビがお茶の間の主役になりかかったころ、街の映画館も西部劇映画が大人気でしたが、邦画上映館もにぎわいを取り戻していきます。

小学校などからも映画鑑賞で子どもたちが映画に始めて接するようなことがありました。真っ暗な館内で見る大型スクリーンや大音響の映画は子どもたちにとっても感動モノだったのでした。大きな町にはだいたい映画上映館があり、映画鑑賞は洋画・邦画を問わずに当時の娯楽の柱でもありました。土曜日や日曜祭日の封切り日は満員で、館内はいつも立見状態でした。大人たちの肩の隙間から垣間見たことも懐かしい思い出です。


 

【1950年代映画の特長】

世界のクロサワやミフネが銀幕で活躍を始めて、日本映画界も自信ができたのか、つぎつぎと邦画の名作をヒットさせていきました。とくにこのころは日本映画史上でも数多くの名作とよばれた作品を生んでいきました。

 

それでは1950年代の名作といわれる邦画10作品をご覧ください。
※なお記載の年は日本での放映開始年です。

 

昭和1960年代の名作邦画については次の記事に詳しく書いてあります。

>>>昭和の名作邦画Ⅱ 1960年代懐かしすぎっ!

 

1)羅生門  |  昭和25年(1950年)

監督 黒澤明
主演 三船敏郎 京マチ子
日本公開 大映 1950年



出典:http://blog-imgs-67.fc2.com/t/e/i/teiken/img_2.jpeg


1951年のベネチア映画祭に出品されていた黒澤明監督の「羅生門」がグランプリを取った。いきなり世界の目が日本の映画に向き、黒澤明や三船敏郎が脚光を浴びた。

作品は芥川竜之介の短編小説であった「藪の中」が原作で、脚本は伊丹万作の弟子橋本忍が黒澤と手がけた。

舞台は打ち続く戦乱と疫病、天災で荒れ果てた平安京の羅生門、旅の武士(森雅之)は妻(京まち子)を連れて森の中で盗賊多襄丸(三船敏郎)とはち合わせる。その妻の美しさに魅せられた多襄丸は武士を襲って縛り上げた。やがて武士の死体が発見され、検非違使は全員を捕まえて取り調べる。目撃者なども証言したがみんな、武士の死については自分に都合のよい嘘を言い張った。この盗賊多襄丸と武士そしてその妻の3人ともが嘘をついていて、あまりにも浅はかなものだったのです。

この映画が上映された年には朝鮮動乱があった。戦後まだ5年目であった当時の世の中も「藪の中」であった。

 

2)西鶴一代女  |  昭和27年(1952年年)

監督 溝口健二
主演 田中絹代 三船敏郎
日本公開 新東宝 1952年

出典:http://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-31-48/mojimojimoji00/folder/437777/43/12720743/img_0


井原西鶴の「好色一代女」が原作で、巨匠溝口健二監督、主演はすでに大スターであった田中絹代が江戸時代の遊郭などの落ちてたくましく生きた女を描いた。御所にもあがった良家の娘お春は美しかった。若侍の勝之助(三船敏郎)がお春を口説いて通じたため不義密通とされ、死罪にまたお春は京都追放になった。その後お春は大名の側室、遊女、商家、結婚、駆け落ち、街娼と転落してゆく。

女の周りで浮いては消える滑稽に見える男どもとの人間喜劇でありました。男たちに翻弄された女の悲劇を田中絹代が一世一代の名演技を見せたといわれています。

ちょうど日本の主権がサンフランシスコ講和条約発効で回復した年でした。

 

3)東京物語  |  昭和28年(1953年)

監督 小津安二郎
主演 笠智衆 原節子
日本公開 松竹 1953年

出典:http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/013/699/59/N000/000/050/142700014061164598178_1_20150322135541.jpg


今なお、小津安二郎監督の東京物語は世代を超えて人気がある。

尾道から子供たち3人のいる大都会東京に出てきた老夫婦の周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)でした。長男(山村聡)は開業医、長女(杉村春子)は下町で美容院を営み、戦死した次男の妻紀子がいる。子供たちにはそれぞれの生活で忙しく、居場所がない老夫婦でした。ただ暖かくしてくれたのは血のつながりのない紀子でした。東京で疲れて尾道に帰る途中、とみが倒れてやがて息を引き取ったのでした。尾道に皆が集まりましたが、葬儀が終わっても周吉の世話をしてくれたのが紀子でした。「あんたはいい人じゃ」と周吉がいい、周吉から妻の形見だといって時計を渡されて、紀子は号泣する。紀子はやがて紀子は新しい人生を決めたかのように尾道から東京に戻る。周吉は一人残って尾道の海を静かに眺めていた。

ちょうど朝鮮戦争が休戦となったころでした。なんの変哲もない日常の下町を描いた「小津調」と今でも慕われる名画でした。

 

4)七人の侍  |  昭和29年(1954年)

監督 黒澤明
主演 志村喬 三船敏郎
日本公開 東宝 1954年

出典:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/3f/acaa049d0c80dff2f2880809fc1cc1c6.jpg


戦国時代も末期、豊作の村を毎年のように襲ってくる野盗集団がいた。村の長老は侍を雇って村を守ろうとしました。その熱意に答えて七人の侍が村にきました。村人の竹槍と共に七人は柵や堀に敵を導き討ち取り、やがて追い払ったのです。当時この人馬あいうつ死闘などが、米西部劇より迫力があって面白いと評価されたのです。黒澤明監督は大成功をおさめました。もともと黒澤監督が尊敬していたジョン・フォード監督西部劇の影響も受けていたそうです。

配役はリーダーを志村喬、菊千代を三船敏郎、その他木村功、稲葉義男、加藤大介、千秋実る、宮口精二の七人でした。

この映画は後に焼き直されて「荒野の七人」としてハリウッドでもリメイク制作され大ヒットしたのです。ヴェネチア国際映画祭銀師子賞受賞しています。

 

5)二十四の瞳  |  昭和29年(1954年)

監督 木下恵介
主演 高峰 秀子
日本公開 松竹 1954年

出典:http://livedoor.blogimg.jp/michikusa05/imgs/1/8/18b2305e.jpg


坪井栄の小説「二十四(にじゅうし)の瞳」が原作です。監督が木下恵介で主演の小豆島にある小さな分教場の大石先生を高峰秀子が演じました。時代は日本で不況がつづき、やがて満州事変、日中戦争へとまっさかさまに破局に向っていくような時代でした。島の若者も次々と出征して戦死、大石先生は軍人になりたいという教え子を「命を大切に」と諭しました。「アカ」との噂が立ちました。

やがて先生は若い遊覧船の機関士と結婚して3人の子供に恵まれました。しかし夫は召集されて戦死。そして敗戦、食糧難で娘も柿の木から落ちて死亡、先生も変転を重ねていきました。

やがて教壇に戻った先生は、かっての子供たちがまた戻ってきたように感じ、永遠のつながりを営んでいるように子供たちの24の瞳が見上げているのでした。

日本が戦争に突入し、これに呑み込まれていった女教師と子どもたち、その苦難と悲劇から戦争の悲惨さと悲劇を描きました。この映画を見たたくさんの人は涙を止められなかったのです

 

6)ゴジラ  |  昭和29年(1954年)

監督 本多猪四郎
特技監督 円谷英二
主演 志村喬 宝田明 河内桃子 平田明彦
日本公開 東宝 1954年



出典:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/95/Gojira_1954_Japanese_poster.jpg


主演はゴジラでした。この年の3月にはアメリカによるビキニ環礁水爆実験があり、マグロ漁船第5福竜丸が死の灰をかぶって帰ってきた。日本で初めてのSF超大作映画ゴジラはこうした戦後10年の冷戦核競争時代の申し子でありました。小笠原諸島のある太平洋の底深くに潜んでいた伝説の太古の巨大生物が核実験のために怒り暴れだしたのでした。それが突然に東京湾から上陸してきたのです。

熱線を吐き高圧電流の防御や防衛隊の戦車をものともせずに、東京の街を焼き尽くしながら、銀座、新橋、田町、芝から国会議事堂も破壊し、襲いかかるジェット戦闘機も払いのけたのです。ついこの間の米軍の東京大空襲で日本といっしょに落ち込んでいた若い科学者(志村喬)は考えていた新恐怖兵器を使うべきか迷いましたが、ついにゴジラが潜む海底に兵器を持って潜っていきました。もし今後水爆実験を続けたら、またゴジラのような巨大生物が現れてくるぞというメッセージを残したのでした。

この映画はハリウッドで買い取られてリメイクされ、1956年に『Godzilla, King of the Monsters!』(『怪獣王ゴジラ』)との題名で全米公開されました。また世界中でもゴジラの名前を轟かせました。

 

7)野菊の如き君なりき  |  昭和30年(1955年)

監督 木下恵介
主演 有田紀子 田中晋二
日本公開 松竹1955年



出典:http://usagi.be/coco/_image/ddf7296185f5f6e4d01a5941ad2d4116.jpg


原作は歌人伊藤左千夫の小説「野菊の墓」でした。木下恵介監督は自然豊かな北信濃で主人公政夫(田中晋二)と二歳年上の美しい従姉妹の悲恋物語を描いた映画です。

もう半世紀を経ていた主人公政夫(演じるのは笠智衆)は年老いてから恋人だった民子(有田紀子)の墓に野菊を供えにふるさとへ帰省し、そこで当時の回想に浸ったのでした。

そのころ政夫の母が体が弱いので、従姉妹の民子が住み込みで手伝いにきてくれていました。村の住民が妬むほど仲がよくて時に喧嘩もしますが、なにはばかることもないような仲の良さが、やがて恋に変っていきました。ところが政夫は旧制中学に進み、遠くで入寮することになったのでした。ふたりは霧の流れる渡し場で別れなくてはなりませんでした。

時が流れ、民子は政夫を忘れての結婚を説得され嫁ぎましたが、嫁いだ後も政夫のことが忘れられなかったので、婚家では疎まれ続け、やがて流産をして体を痛めた末に息を引き取ってしまいました。手には政夫の手紙とリンドウの花が握られたままだったのです。授業中に民子が亡くなったと呼び戻された政夫は、あの頃に自分がリンドウで、民子は野菊の花のようと語り合ったことを思い出すのでした。

当時の時代が持っていた田舎特有の因習や貧しさから、天真爛漫の二人の恋は途絶えたのでした。

経済が復興から成長を始めた世相に逆らうような純粋で美しい悲恋物語でした。

 

8)幕末太陽傳  |  昭和32年(1957年)

監督 川島雄三
主演 フランキー堺 石原裕次郎 小林明 左幸子 南田洋子
日本公開 日活 1957年



出典:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/61g26pbLUnL.jpg


川島雄三監督の日活映画「幕末太陽傳」は当時人気が出ていたフランキー堺を主役佐平治に抜擢、幕末ドタバタの太陽族のような幕末の志士に石原裕次郎、小林旭、二谷英明たちが出演しました。

この喜劇は当時の遊郭が舞台で、遊女役には左幸子や南田洋子が出演していました。落語の「居残り佐平治」などに題材をとったものでした。

幕末の文久2年、品川遊郭、お大尽きどりの佐平治(フランキー堺)は仲間たちを引き連れて遊郭でドンちゃん騒ぎ、会計に残ったのは佐平治だけ、一銭も持たないでそのまま居残り、支払いも先延ばし、やがて露見したあげくに、佐平治は遊郭でただ働きをして借りを返すことになります。

持って生まれた才能をフルに発揮し、楼内でのトラブル怪傑に大活躍、おそめ(左幸子)やこはる(南田洋子)の女郎たちにもすっかり人気者になったのでした。一方尊皇攘夷をかかげた長州の高杉晋作たちは品川沖まで佐平治たちと漕ぎ出して、密航の秘密を守るためと、佐平治は斬られそうになりますが、ここでも上手い啖呵を切り危機を逃れました。

フランキー堺は元々はJAZZ演奏のドラマーでした。慶応ボーイ時代から進駐軍に出入りした佐平治のような才人でした。この映画の後、「駅前シリーズ」や「社長シリーズ」などのコメディーでも一世を風靡しました。

2月には岸内閣で日米安保体制を目指し、経済は復興し戦後からの成長が始まっていました。当時「太陽族」への風当たりもあって、映画会社と監督たちの間では軋轢が絶えなかったとのことでした。

 

9)無法松の一生 (リメーク版)  |  昭和32年(1957年)

監督 稲垣浩
脚本 伊丹万作
主演 三船敏郎 高峰秀子
日本公開 大映 リメイク版1957年
1958年 ベネチア映画祭グランプリ



出典:http://showa-love.jp/wp-content/uploads/2017/03/RickshawMan_08.jpg


この映画は、かって戦時中1943年に一度稲垣監督で映画になっていて、公開がちょうど学徒出陣のころで、戦局は負けの様相で、生活も窮乏を極めたころでした。

舞台は九州の小倉、独身の人力車夫松五郎(坂東妻三郎、リメイクでは三船敏郎)は飲む打つ買うの無軌道な男で曲がったことは大嫌いでした。

ある日堀に落ちてけがをした少年・敏雄(長門裕之)を助ける。敏雄の父親は陸軍吉岡大尉(永田靖)で、その性格を気に入られた松五郎はその家に出入りするようになりました。しかし大尉はやがて急病でなくなり、後には良子夫人(園井恵子、リメイクで高峰秀子)と一人息子敏雄が残される。婦人は息子を強い男にしてほしいと松五郎に期待したのです。松五郎もやる気で張り切り、やがて夫人への思いが募りだしたのです。

敏雄はやがて剛毅に育つが松五郎が「ぼんぼん」と呼ぶのを嫌って離れだすのでした。祭りの祇園太鼓を情熱をこめて叩く松五郎は恋慕の表情だったが、暗い時代は恋慕の画面を検閲でカットしました。やがて衰えて死んでいった松五郎、その貧弱な遺品の中から、夫人と敏雄のために預金を貯めていた通帳を見つけ、夫人は松五郎の真情をこのときに気づき泣き崩れるのでした。

稲垣監督のリメーク版はカラーで、もっとも有名なものでした。また「無法松の一生」は舞台演劇や歌謡としてもたくさん上演されてきました。

 

10)駅前旅館  |  昭和33年(1958年)

原作 井伏鱒二
監督 豊田四郎
主演 森繁久弥 淡島千景
日本公開 東宝 1958年

出典:http://livedoor.blogimg.jp/blogginza/imgs/1/e/1ea4f79c.png


映画「駅前旅館」のキャッチコピーは「舌三寸で客を引き胸三寸で恋のせる番頭家業の裏おもて」というものでした。

上野駅周辺、このころは東京タワー建設中で、東京全体に新しいものに変っていく世相でした。この映画はこのような風潮にさからうような古い旅館の番頭たちの物語でした。

この旅館一筋の番頭次平(森繁久弥)、仲間の番頭が伴淳三郎、旅行会社の添乗員にフランキー堺、次平が好きな飲み屋のおかみに淡島千景という配役でした。

当時はすでに旅館の営業は旅行会社の指定旅館となって客を取り込んで行きさえすればば商売は良くなっていました。今までの路上の通行客に対しての呼び込みなどはもうほとんど必要も無くなっていました。

この番頭と飲み屋のおかみのコンビが軽妙で当たり役となりました。このあとの「夫婦善哉」(織田作之助)や「喜劇 駅前団地」などでもコンビの評判も良かったそうです。

この映画が好評で、その後は「駅前シリーズ」として東宝の喜劇映画路線シリーズとなりました。

 

まとめ

1950年代は、黒澤監督などの邦画が海外でも認められ始めました。日本人も自信を取り戻して「駅前旅館」などのcomedy映画も始まりました。日本も成長期にかかりだしたころなのでしょうか、東京タワーが建築にかかったころでした。

 

※参考資料
・Wikipedia
・「その時名画があった」玉木研二著(牧野出版)

 

昭和1950年代の米テレビドラマについては、こちらの記事をチェックしてみてください。

>>>昭和あるある 米TVドラマ懐かしすぎ!1950年代

 

\ SNSでシェアしよう! /

showa-loveの注目記事を受け取ろう

昭和 映画館

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

showa-loveの人気記事をお届けします。

  • 気に入ったらブックマーク! このエントリーをはてなブックマークに追加
  • フォローしよう!

ライター紹介 ライター一覧

tsuzuki

この人が書いた記事  記事一覧

  • 昭和のアメリカ西部劇映画 ヒット10

  • 昭和の名作邦画Ⅱ 1960年代懐かしすぎっ!

  • 昭和の名作邦画 1950年代懐かしすぎっ!

  • 昭和30年代のヒット TV番組Ⅱ 懐かしすぎっ!