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昭和の名作邦画Ⅱ 1960年代懐かしすぎっ!

1964オリンピック

昭和の名作邦画 1960年代懐かしすぎっ!

【1960年代の背景】

アイキャッチ写真は、東京オリンピックを観戦される当時の皇太子ご夫妻の姿です。このオリンピックは1960年代の中心となったイベントでした。さて次の2020年夏の東京オリンピックは日本にどんな影響を社会や文化にもたらすことになっていくのでしょうか。

 

【1960年代映画の特長】

世界のクロサワやミフネが銀幕で活躍を始めて、日本映画界も自信ができたのか、つぎつぎと邦画の名作をヒットさせていきました。このころはまた日本映画史上の名監督が数多くの作品を生んでいき国内外でヒットし、海外に素晴らしい日本文化を広めていきました。

 

昭和の名作邦画 1960年代懐かしすぎっ!

それでは1960年代の名作といわれる邦画10作品をご覧ください。
※なお記載の年は日本での放映開始年です。

 

1950年代の名作邦画については次の記事に書いてあります。

>>>昭和の名作邦画 1950年代懐かしすぎっ!

 

 

1)名もなく貧しく美しく  |  昭和36年(1961年)

脚本・監督 松山善三
主演 高峰秀子 小林桂樹
日本公開 東宝 1961年(昭和36年)

出典:http://eiga-natukasi.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_b76/eiga-natukasi/DSCN9591.JPG

ろうあ者の夫婦、戦後の苦しい暮らしの中、ひたむきに生きて周りの人々とも心を通わせながら、お互いに支えあって、障害を越えて行くという映画でした。

秋子(高峰秀子)と道夫(小林桂樹)はろう学校で学び、同窓会をきっかけに交際し結婚しました。最初の子は二人の耳が聞こえないため、病気に気づかずに死なせてしまったのです。

夫婦は靴磨きをしてぎりぎりの生活を送っていました。やがて男の子に恵まれました。秋子はミシンの仕事をし、道夫は印刷工の仕事に就いていました。主役の高峰はすでに本作が初監督の松山善三と結婚していました。なかでも高峰は自分で工夫をして手話の演技を優雅な動きに変えたりもしていました。

映画では秋子が大事なミシンを弟に売り飛ばされ絶望のはて、家を飛び出し山手線にとび乗ったのでした。追いかけてきた道夫もなんとか間に合って彼女を満員電車の中で探して見つけました。

電車の連結部、向こうのガラス越しにいる彼女に道夫は手話で話す。道夫のこの必死の説得で、彼女は明るさを取り戻しました。有名な感動的なシーンでした。映画では不慮の事故で亜希子がなくなったが、絶望しながらも道夫には一人息子の一郎(北大路欽也)が生きがいとして残されていました。

 

2)用心棒  |  昭和36年(1961年年)

監督 黒澤明
主演 三船敏郎 仲代達矢
日本公開 東宝1961年

出典:http://loungecafe2004.com/movie/wp-content/uploads/2016/01/Youjinbou1961.jpg

黒澤明監督の時代劇「用心棒」は、イタリアのセルジオ・レオーネ監督がその後リメークで作った「荒野の用心棒」の原本となったものです。

三船敏郎が演じたのが浪人椿三十郎で、舞台は上州の宿場で勢力争いまっただ中のやくざ一家同士、映画はいきなり野良犬が片腕をくわえて走り出てくる画面から始まるのでした。

双方のやくざが無宿人や浪人をかき集めて戦おうとしていました。ここで仲代達矢が演じたのがネッカチーフを首に巻き拳銃を扱う着物姿の早撃ちガンマンの卯之助、これだと本当に西部劇に思えます。

宿場のメインストリートでは砂塵が巻きあがるし、ラグビーのようなダイナミックな殺陣シーンがありました。

当時世界はキューバ危機の真っ最中でした。いったん衝突すれば核戦争で世界が破壊につながる愚かしい冷戦は、用心棒の舞台に重なっていたような気がしました。

 

3)秋刀魚の味  |  昭和37年(1962年)

監督 小津安二郎
主演 笠智衆 岩下志麻
日本公開 松竹 1962年

出典:http://blog2.hix05.com/p/j.odu115.sanma.jpg

名監督と言われる小津安二郎の遺作となりました。60歳の若さでした。人間の避けられない「老い」の問題を描いています。

主人公の平山(笠智衆)らは大正末期の卒業から40年、戦後の困難な時期を乗り越えて来て、それぞれに成功した生活を送っていました。平山は妻を亡くして、長女路子(岩下志麻)と大学生の次男の3人暮らし、家事は娘が会社勤めの中仕切っていました。

なんの経済的な不自由もない平山も、やがて引退の時が来ます。クラス会に呼ばれて来た漢文の教師(東野英次郎)「ひょうたん」がだらしなく酔いつぶれた姿を見たり、電車の中で落ちていた新聞を拾っていた老人がひょうたんだったりで、教え子たちは軽蔑していました。ひょうたんも妻を亡くして、一人娘(杉村春子)に頼りきりで根気を逃したことを悔やんでいると愚痴っていました。

路子には好きな青年がいて希望があることも、街は明るく発展をしていて、人々は当時ナイターをテレビで見ながらビールを飲むようになっていました。その路子が挙式した日に酔って帰り、暗い台所で老いを迎える平山の寂しい後ろ姿があったのでした。

 

4)しとやかな獣  |  昭和37年(1962年)

監督 川島雄三
主演 若尾文子
日本公開 大映 1962年

出典:http://pds.exblog.jp/pds/1/201303/06/63/c0289563_1439391.jpg

当時の憧れであった公団の団地で暮らす家族が主役のブラックユーモア映画でした。監督は川島雄三、主役はしなやかな獣なのか若尾文子でした。

元海軍中佐前田時造(伊藤雄之助)の一家、海軍の解体から落ちぶれた時造は、大人になった娘友子(浜田ゆう子)を銀座で働かせて売れっ子の作家吉沢(山茶花究)の愛人にして金づるを作った。長男実(川畑愛光)に勤めている芸能プロから会社の金を着服させたりしていました。

妻のよしの(山岡久乃)も上品に見えてもえげつなく子供たちをそそのかします。夫とともに金の亡者、今は公団で家電製品に囲まれて酒を飲んでいます。あんな貧乏な生活はもうこりごりと言っています。だが上には上の女が三谷幸枝(若尾文子)で、しとやかな女を演じて周りの男をたぶらかして金を取る獣でしたが、シングルマザーの彼女は旅館経営の夢実現を目指していました。

戦後の貧乏から這いあがって頑張った社会の姿でもありました。人ごとではないブラックユーモア映画でした。

 

5)キングコング対ゴジラ  |  昭和37(1962年)

監督 本多猪四郎
特技監督 円谷英二
主演 高島忠夫
日本公開 東宝 1962年

出典:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/09/4e233305823c8ac2b419bd611aa59b68.jpg

1954年の「ゴジラ」から、全28作のゴジラシリーズでありました。60年代になって「キングコング対ゴジラ」で有島一郎が演じるテレビ番組のスポンサーの宣伝部長は、南方の島で見つけたキングコングを利用しようと、ゴジラとどっちが強いのかを戦わせることを考えました。だが展開は思惑通りにはならずに東日本から富士の裾野にゴジラ、人間、キングコングの三つどもえの争いになったのです。出演はその他には高島忠夫、佐原健二、藤木悠らがいます。

 

6)天国と地獄  |  昭和38年(1963年)

監督 黒澤明
主演 三船敏郎 香川京子
日本公開 東宝 1963年

出典:https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-9f-9a/fpdxw092/folder/1455483/63/62658163/img_0?1480910520

オリンピックが翌年にある、ここ港を見下ろす横浜の豪邸、主人権藤(三船敏郎)は大手の靴メーカーの丈夫で長持ちする靴づくりをやってきた重役、これに対する低コストでデザイン先行で消費型の靴づくりをしたい反対派をつぶすために自社株を買い集める資金を用意した矢先、自分の息子と間違えられて、運転手の子供が誘拐され身代金が要求されたのでした。

犯人は人間違いと知るが「お前が払え」と強気、権藤の秘書(三橋達也)は断れといったが、妻(香川京子)はその金で運転手の子を助けてあげてと涙ながらに訴え、権藤は悩んだが要求に応える。下り特急こだまから酒匂川で金の入ったバッグを落とせと言ってきた。戸倉警部(仲代達矢)はやがて犯人の研修医(山崎努)を追い詰めていきます。貧しい密集地のアパートから、高台の権藤邸を毎日見上げながら暗い憎悪で犯行を練っていたのだ。

思えば、大量消費の高度成長時代に乗ろうとした反権藤派を象徴していたのが新幹線だったのかなと思われました。

 

7)飢餓海峡  |  昭和40年(1965年)

監督 内田吐夢
主演 三国連太郎 左幸子 高倉健 伴淳三郎
原作 水上勉「飢餓海峡」
音楽 冨田勲
日本公開 東映 1965年

出典:https://iwiz-movies.c.yimg.jp/c/movies/pict/p/p/b6/07/115573_01.jpg

昭和22年の北海道地方を直撃した台風は、青函連絡船を転覆させ、その時の遺体の中に2人の身元不明があった。函館署の弓坂刑事(伴淳三郎)は同日に質屋を襲って一家を惨殺したあげくに放火させて街のほとんどを焼失させた犯人三人のうちの二人だと考え、仲間割れで二人を殺して逃げた犬飼(三國連太郎)を追った。

犬飼は残った大金を持って逃亡の途中、一夜を共にして親身に介抱してくれた娼婦の八重(左幸子)に同情し、まとまった金を与えたのです。10年経って、舞鶴で食品会社を経営する名士になった犬飼の新聞記事を見つけてお礼をと訪ねたのです。しかし八重は殺された。弓坂刑事はずーっと彼を追いかけていたが、八重の事件を知り・・・。

風采のあがらない刑事役を、当時「アジャパー」と言って人気の喜劇役者であった伴淳が演じて、毎日映画コンクールで男優助演賞を得たのでした。

日本の戦後の貧しさを引きずったような映画でした。

 

8)東京オリンピック  |  昭和40年(1965年)

監督 市川昆
脚本 白坂依志夫 谷川俊太郎
日本公開 東宝 1965年

出典:https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20131018%2F34%2F3099194%2F0%2F319x450x86d79f0e13476ce638fab01b.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=600&qlt=80&res_format=jpg&op=r

東京オリンピックの監督は当初黒澤明が予定されていたが、予算で折り合わなかったのか市川監督がメガホンを取った。五輪記録映画ではあったが高速度カメラなど新機軸の技法も使ってアスリートたちの緊迫した筋肉や表情を捉えていました。 戦後の奇跡の復興から、この日を迎えた東京、高度経済成長の波にも乗り、見事にオリンピック競技を開催した。

あのあどけなさが残るチャスラフスカの体操演技など素晴らしいものでした。日本も大いに国威発揚し金メダル16個は超大国の次に多く3位でありました。ボクシングの桜井、重量挙げの三宅、柔道の神永や猪熊や岡野、体操団体、バレーボール女子など枚挙に暇が無いほどでした。

各種競技場の建設、新幹線や東京モノレールの開業、環七や首都高速の整備がなされました。カラーテレビはまだ高価で普及が始まったところでした。当時の池田勇人首相は、オリンピック後体調すぐれず辞任し、オリンピックを見届けてからなのか翌年亡くなったのでした。

また当時はじめてのコンパニオンが募集されて、このなかの西村亜希子さんがプロ野球の長嶋茂雄さんと同年に結婚しました。

 

9)赤ひげ  |  昭和40年(1965年)

監督 黒澤明
主演 三船敏郎 加山雄三 香川京子
日本公開  東宝 1965年

出典:http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/004/981/16/N000/000/005/137870909206013226987_e0172024_19502047.jpg

舞台になった小石側養生所は、今の小石川植物園(文京区)に一角にあった、江戸幕府が建てた貧しい人たちや老人の治療や投薬をするところでした。

原作は山本周五郎の「赤ひげ診療譚」でした。黒澤映画の頂点的な作品で、国内外で賞を得たのでした。主演の反骨医師の赤ひげ、新出去定役は三船敏郎、主人公になるのか青年医師保本登を当時「若大将」とやばれた人気者の加山雄三が演じました。監督と三船敏郎の作品はこれが最後のものでした。

出世を夢見ていたエリート医師保本は、長崎留学から帰ってくると、婚約者はすでに別の男と結婚していて、この養生所に送り込まれてきたのでした。やがて赤ひげや貧しい市井の人たちと関わる中でエリート意識はなくなり、やがて幕府からの出仕の話しも断って残留をするほど変りました。

心を病む商家の娘(香川京子)には殺されかけたり、また遊郭で体と心を壊した少女(二木てるみ)を救ったりした。一方肥満体の大名たちからは治療費を高く取り、貧しいものには惜しみなく治療を行ないました。幕府からの合理化にも断固として戦ったのでした。登は自分を裏切ったちぐさ(藤山洋子)を許せるようになって、その妹のまさえ(内藤洋子)と夫婦になって、二人で養生所に残ることを決意していたのでした。

 

10)男はつらいよ  |  昭和42年(1969年)

監督 山田洋次
主演 渥美清 倍賞千恵子
日本公開 松竹 1969年

出典:https://www.tora-san.jp/resources/img/files/detail_poster01.jpg

「男はつらいよ」は当初テレビドラマで、その最終編で寅次郎がハブにかまれて死んでしまうことになった。ところが人気がありすぎて抗議が殺到、ついに1969年に映画化となったものでした。

映画はこのあとシリーズで48作が製作されました。監督は山田洋治、レギュラー出演に車寅次郎を渥美清、義理の妹さくらを倍賞千恵子、舎弟の登を秋野太作と毎回出てくるマドンナ役や脇役人も三崎千恵子、太宰久雄、笠智衆、佐藤蛾次郎らが固めていました。

第1作では「フーテンの寅」は16歳で父親と喧嘩をして家を飛び出し、テキ屋家業で全国を渡り歩く渡世人だった。ある日家出から20年経って突然さくらたちが団小屋を営む葛飾区の柴又帝釈天の門前に戻ってきました。

パターンはだいたい寅次郎がマドンナに惚れて、相手もその気になりそうなところで、恋敵が出てきたりして失恋してしまい、結局また旅に出ることになるというような話しになります。渥美清のテンポ良い口上は大人気で、映画寅さんシリーズはお盆とお正月映画として年2回上映されたのでした。

 

まとめ

この1960年代が劇場映画のピークだったような気がします。このあとカラーテレビに押されて、徐々に衰退して現在に至るようになりました。昔の超満員の映画館の賑わいから思うと、隔世の感があってさびしい限りです。最近はビデオやDVDでレンタルされたり、またamazonなどでもDVD版を安く入手できるので、レンタルビデオとしても根強い人気がありますね。

 

※参考資料
・Wikipedia
・「その時名画があった」玉木研二著(牧野出版)

 

60年代のドラマについては、こちらの記事をチェックしてみてくださいね!

>>>1960年代に好きだったテレビドラマは?お色気?それともアクション?

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