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彼女と見た!昭和の名作洋画Ⅱ 60年代 懐かしい10本

サウンド・オブ・ミュージック

 【映画館で見た名作洋画の背景】

1960年代は、西欧文化にも光と影があることに気がついてきた時代かも知れません。天然色カラーといわれ、シネマスコープと進歩した劇場映画に対して、白黒テレビもおいつけとばかりにカラー化や大画面化がお茶の間で始まりました。

当時劇場の売店では映画のパンフレットも印刷技術の進歩でグラビア風にきれいなものがあり、記念によく買い集めました。ウェストサイドストーリーや史上最大の作戦、アラビアのロレンス、サウンドオブミュージックなどスケールの大きな作品も多く、これらから若者は流行を取り込みだした時代でした。彼女と行くためのラブロマンスものも多く制作され上映されていました。映画館は大いに活況を呈していました。

写真は サウンド・オブ・ミュージックからです。

 

【名作洋画の特長は】

高度成長時代に突入して、新幹線や東京オリンピックとにぎやかな時代でもありました。こういう成長期にあり、お茶の間のテレビドラマなら「奥様は魔女」のような、欧米の豊かで明るい家庭を表現した洋画も多かったですね。一方では第二次世界大戦ころの名作洋画もありました。

家庭的なものと戦記物など両極端ではありましたが名作洋画がたくさん見れました。やがて世界は冷戦時代に入ってベトナム戦争が勃発しました。反戦のフォークソングをはじめ、映画でもサウンドオブミュージックやウェストサイドストーリーなどのミュージカル映画も多数現れてきた名作洋画の時代でした。

それでは昭和の懐かしい名作洋画の10作品をご覧ください
※なお記載の年は日本での上映期間です。

 

昭和60年代の名作洋画については次の記事に書いてあります。

 

>>>彼女と見た!昭和の名作洋画 50年代懐かしい映画10本

 

1)太陽がいっぱい  |  仏・伊合作、日本公開1960年

・監督 ルネ・クレマン
・主演 アラン・ドロン マリー・ラフォレ モーリス・ロネ
・音楽 ニーノ・ロータ



太陽がいっぱい

出典:http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/013/699/59/N000/000/024/135249058329313118077_516IzspuDmL.jpg


南イタリアの海辺のレストランで、アメリカの貧しい青年トム(アラン・ドロン)は野望を達成した満足感に浸っていた。アメリカの大富豪にイタリアで遊びほうけている息子フィリップ(モーリス・ロネ)を連れ帰るように依頼されていた。

イタリアでフィリップを見つけ、その恋人マルジュ(マリー・ラフォレ)と3人でヨットに乗った。フィリップたちに蔑まれたトムは決心する。トムは彼女を途中で港に降ろし、そのあと、巧妙にフィリップを殺して死体をヨットから沈めた。署名の筆跡を練習してIDを偽造、トムはフィリップに成りすます。

さらに彼女も手に入れようとする。海辺のレストランで至福の時をすごして高級酒を飲んでいたとき、目の前に乗っていたヨットがあらわれて・・大どんでん返しを迎えることになる。画面に流れるニーノ・ロータの主題歌は、この映画と同じルネ・クレマン監督作品の「禁じられた遊び」にも通じるような美しい旋律でした。

1960年当時この映画が封切られていたころは安保条約改定阻止のデモ隊が連日街頭に繰り出していた。その緊迫感と対峙するように、青年大スターアラン・ドロン(24才)を生んだこの若者の野望と破滅を描いた仏伊合作映画は大ヒットしたのです。

 

2)サイコ  |  米映画 日本公開1960年

・監督 アルフレッド・ヒッチコック
・主演 アンソニー・パーキンス ジャネット・リー



出典:https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-52-81/kamikamidaioh/folder/50568/55/11806755/img_0


東京オリンピックが開幕して間もないころ、あのアルフレッド・ヒッチコック監督のサスペンス映画「サイコ」が上映された。この作品の内容は徹底したかん口令が敷かれた。あえてモノクロで撮影した画面はサスペンス映画独特の緊迫感を生んだ。すでに有名な監督の作品でもあり、その秘密主義もあいまって興行成績は大ヒットとなった。

アリゾナの町で不動産会社に勤めるヒロインがマリオン(ジャネット・リー)はある日、偶然にも不動産取引での大金を預かったが、困窮していた生活から逃れるべく着服し逃走する。どしゃぶりの夜道に車が迷い、古びたモーテルに泊まる。モーテルの背後には小さな洋館に年老いた女がいた。モーテルの若い経営者であったノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)は「あれは、母で心を病んでいる」と言った。その夜、もう金を返そうと決意したマリオンはシャワーを浴びているときに、老女のような姿が見え、彼女はめった刺しのされ殺される。母を捜していたノーマンは惨殺死体を見て動転しながらも後始末を始めた。やがてマリオンの妹と私立探偵らによって殺人者を追い詰めて行くのだが・・・ヒッチコックはいつもの茶目っ気から、この映画に出演していて、マリオンが会社に出たときのウェスタンハットをかぶった通行人としてお目見えしていた。

当時はテレビの「ヒッチコック劇場」も人気番組として上々でした。またこの映画で悲しそうな繊細な表情を見せる青年ノーマン・ベイツを好演したアンソニー・パーキンスは、その後核戦争で北半球が全滅し、放射能に汚染されていくオーストラリアを描いた映画「渚にて」(監督スタンリー・クレーマー)でも活躍していますね。

 

3)アパートの鍵貸します |  米映画 日本1960年

・監督 ビリー・ワイルダー
・主演 ジャック・レモン シャーリー・マクレーン フレッド・マクマレー



アパートの鍵貸します

出典:http://pds.exblog.jp/pds/1/201001/15/81/f0009381_0232340.jpg


この映画で監督ビリー・ワイルダーたちはアカデミー監督賞などを受賞しています。

ニューヨークの大手保険会社の社員バクスター通称バド(ジャック・レモン)はこの高層ビルのオフィス19Fのフロアで働いています。フロアには1000人もの社員が働き、エレベーターも16基もあって、フロアーごとの時差出勤でなんとかマンモスオフィスの操業をこなしていました。実はバドはセントラルパーク近くの古いが住みやすそうなアパートを借りていて、上司の連中の浮気で密会の部屋として、鍵を貸し出していた。これで昇進や評価を期待していたのです。

バグが好意を寄せているのがエレベーター係りのフラン(シャーリー・マクレーン)、きりっとして愛嬌のある美人です。ある日部長のシェルドレーク(フレッド・マクマレー)に呼び出されたバド、てっきり昇進話かと思いましたが、なんとアパートの鍵を貸してほしい、昇進をちらつかせての事でした

。家庭のある部長は結婚には煮えきらないのに絶望したフランは自殺未遂をしますを図りました。バクスターは彼女を助けて親切に世話をしてやりました。まだ彼女と浮気部長のとりなしをして平社員から上級管理職になったのです。しかし心の変化が起こり、ある日部長からアパートの鍵を貸せといわれたのに毅然と断ったのでした。恋しいフランはついに決意し・・・。

映画だけでなく豊かなアメリカを思い知らされたのが、テレビドラマでもあった「パパ大好き」などでした。ここでめったに無いほど良き父を演じたのが、浮気部長役のフレッド・マクマレイでした。

 

4)ティファニーで朝食を  |  米映画 日本公開1961年

・監督 ブレイク・エドワーズ
・主演 オードリー・ヘプバーン ジョージ・ペパード



出典:http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/h/harharchan/20151102/20151102025725.jpg


舞台はニューヨークの5番街、映画は有名な高級宝石店ティファニーの名前から有名になった。当時ティファニーで朝食はやっていませんでした。主役はもちろんオードリー・ヘップバーン。バックに流れるのが名曲ナンバー「ムーン・リバー」で作曲はヘンリー・マンシーニでした。そういえば原作トルーマン・カポーニーの『ティファニーで朝食を』は村上春樹が翻訳出版した新潮文庫がありました。

主人公ホリ-・ゴライトリー(ヘップバーン)はニューヨークの社交界を天衣無縫に、あるときは娼婦のように泳ぎまわっていました。彼女のアパートに引っ越してきた作家志望の青年ポール(ジョージ・ペパード)も有閑マダムの相手をする生活を送っていました。そしてホリーとポールは恋をした。ドタバタがあって最後はハッピーエンドとなったが、このホリーはまたどこかに飛び出して行くのではないのかと観客に心配させて終わっています。

当時冷戦のまっただなかで、ケネディ大統領の宇宙競争でもアポロ計画が発表されていた。ホリーが月や星空を見つめて、ギターを鳴らしたムーン・リバーの歌声は人々に一時の癒しとなったようですね。

 

5)ウェストサイド物語  |  米製作映画 日本公開1961年

・監督 ロバート・ワイズ ジェローム・ロビンス
・主演 ジョージ・チャキリス リチャード・ベイマー ナタリー・ウッド
・音楽 レナード・バーンスタイン



出典:http://1.bp.blogspot.com/-Jx8h0KXSQSA/UkYEUt57QTI/AAAAAAAADyQ/43eRgPNLKd0/s1600/1969.jpg


何といっても主役はダンスと音楽ですね。今や日本でも代表的なミュージカルとして毎年のように定番として上演されつづけています。

舞台はニューヨークの貧民街、対立する白人の不良グループ「ジェット団」とプエルトリコ移民の「シャーク団」、二つのグループはどちらも社会からつまはじきされ、また差別にしいたげられているグループでした。このジェット団のサブリーダーのトニー(リチャード・ベイマー)とシャーク団のリーダーベルナルド(ジョージ・チャキリス)の美しい妹マリア(ナタリー・ウッド)が抗争の最中に恋に落ちる悲劇のミュージカルです。劇中曲で素晴らしいダンスと音楽の連続、あのロミオとジュリエットの悲劇を思わせるような華麗なミュージカル映画でした。音楽は移民が差別と自由を掛け合いで歌った「アメリカ」、トニーが求愛を歌う「マリア」、有名な二人で歌う「トゥナイト」などなど、今でも耳朶に残る名曲群で、悲劇の二人の結末を美くしくも高らかに歌い上げていました。

当時東京も排気ガスの大気汚染が問題となり、空はドロンと曇っていましたが、映画はそんな時代の暗さを飛び越えるように観客に愛や希望と勇気をもたらしてくれました。

 

6)史上最大の作戦  |  米映画 日本公開1962年

・監督 ケン・アナキン、ベルン・ハルトビッキ、アンドリュー・バートン
・主演 ジョン・ウェイン
・音楽 モーリス・ジャール、編曲 ミッチミラー



史上最大の作戦

出典:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51oNKmlH9vL.jpg


原題は「The longest day」(一番長い日)であったのを、20世紀FOX勤務の水野晴郎は「史上最大の作戦」と改題して映画は大ヒットした。1944年6月6日、イギリスの海岸に大集結していた連合軍は悪天候のドーバー海峡で裏をかいてフランスのノルマンディ海岸への上陸を敢行した。

いわゆるD-dayです。連合軍の将兵を演じたキラ星のような大スターたちでした。例えば米軍ではアメリカ陸軍第82空挺師団第2大隊長中佐は大御所ジョンウェインが演じ、ロバート・ライアン、ロバート・ミッチャム、ジェフリー・ハンター、ヘンリー・フォンダ、それに歌手ポール・アンカまでも。イギリス軍はロバット卿をピーター・ローフォード、イギリス空軍将校をリチャード・バートン、コマンド部隊一等兵を007のショーン・コネリー。一方受けて立つ側のドイツ軍はクルト・ユルゲンスなどが出演しました。

ドイツ軍司令部は大きなミスを犯しました。ドーバー海峡の中で最も距離がある地点への上陸があり得ないと誤認識したし、ヒットラーへの緊急連絡も就寝中のため遠慮し、結局軍の移動や追加投入が遅れました。この一番長い日により、連合軍はヨーロッパ戦線の解放に向け怒涛の進撃を見せたのです。背景に流れていたミッチミラー楽団の行進曲も勇壮なものでした。このようにスケールの大きな大作はもう二度と実現しないでしょう。

 

7)アラビアのロレンス  |  英映画 日本公開1963年

・監督 デビッド・リーン
・主演 ピーター・オトゥール
・音楽 モーリス・ジャール



出典:http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ENhJArtYL.jpg


第35回アカデミー賞で作品賞や監督賞を受賞した名画です。日本公開は東京オリンピックの前年1963年、総天然色70ミリ超大作で207分の英製超大作でした。まだ日本ではアラビアがどんな国かも知らないときで、英国人ロレンスがアラビアの民族衣装を着て、夕陽に輝く広大な砂漠を疾駆する姿にロマンを感じたのかも知れません。

トーマス・エドワード・ロマンスを演じたのがピーター・オトゥール、ファイサル王子はアレック・ギネス、シャリーフ・アリをオマー・シャリフ、アウダ・アブ・タイをアンソニー・クインが演じた。

ファイサルと会見した英将校ロレンスはオスマン帝国からの独立闘争を支援することに合意しました。その後砂漠での戦いでアラブ人にアラブを与える聖戦であると信じたが、英国にとってはイギリス軍本体のための単なる後方かく乱作戦と位置づけられていました。オスマン帝国軍から解放されたアラビアもまた、もはやロレンスを必要としなかったし、イギリス本国のとっても大アラブ帝国を理想としていたロレンスは、英国のアラブ分割協定の上からもある意味邪魔なのでした。誰よりもアラブを愛していた白人のロレンスは失意の中、オートバイで事故死したのです。

 

8)大脱走  |  米映画 日本公開1963年

・監督 ジョン・スタージェス
・主演 スティーヴ・マックイーン 、ジェームズ・ガーナー、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、ジェームズ・ドナルド
・音楽 エルマー・バーンスタイン



出典:https://kazuhiro55.files.wordpress.com/2007/10/6a00d09e656c7fbe2b00e398b781bd0005.jpg


なんとも爽快な戦争映画でした。第二次世界大戦下のドイツで、新設の捕虜収容所から、英米の連合軍捕虜たちが協力し、各人の高い技能を活かして、床下から秘密裡に掘り進める地下トンネルから、なんと250人にのぼる空前絶後の大脱走を実行したのです。
あるものはトンネル設計、また自分たちで崩落防止の木材を用意したり、手動式の送風機、さらには脱走後に必要な民間服や身分証明書の準備・・など、また主人公のヒルツはわざと脱走を重ねて逃走用の地理情報を持ち帰った。この映画は実際にパラシュートで降下し捕虜となった軍人の収容所での実話をもとにジョン・スタージェス監督が映画化したのでした。音楽はエルマー・バーンスタインで主題曲「大脱走マーチ」もミッチ・ミラー楽団の歌で大ヒットしました。

みんな車、列車やボートで大脱走をした中、ヒルツ役のスティーブ・マックイーンがラストシーンでドイツ軍のバイクで丘を疾走する場面では、捕まってしまいましたが、ニヤッと笑って不屈の精神をあらわし、大変印象に残っています。

 

9)マイ・フェア・レディ  |  米映画 日本公開1964年

・監督 ジョージ・キューカー
・主演 オードリー・ヘップバーン レックス・ハドスン
・音楽 アンドレ・プレヴィン



出典:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/518FGTX2VNL.jpg


同名のミュージカルからの映画化で同年のアカデミー最優秀作品賞を受賞しています。舞台は20世紀はじめの階級格差が強く、第一次世界大戦前夜のロンドンでした。語学専門のヒギンス教授(レックス・ハドスン)は主人公の花売り娘イライザ(オードリー・ヘップバーン)を特訓でレディに仕上げることになりました。下町育ちで下品なイライザは、発音もまずくて「ei」を「ai」といってしまったり、このため矯正に「スペインの雨」や「踊り明かそう」を歌わせてみせたり、紳士淑女の社交場であるアスコット競馬場でデビューさせたりしていました。そんなイライザに富裕層のフレディー(ジェレミー・ブレット)が恋をして「君住む街角で」「運が良けりゃ」を歌いました。このあたりからヒギンスはお金持ちになってしまいました。ここでヒギンス教授は彼女のことがわすれられなくなったことに始めて気づかされます。

大英帝国の衰退と同じように、ハリウッドの大作ミュージカル映画もこれがピークであったように思われます。

 

10)サウンド・オブ・ミュージック  |  米映画 日本公開1965年

・監督 ロバート・ワイズ
・主演 ジュリー・アンドリュース



サウンド・オブ・ミュージック

出典:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51JKWtVd1AL.jpg


ミュージカルは総合芸術として、あめりか映画の大輪の華でした。巨匠となったロバート・ワイズ監督は大ヒットの「ウェスト・サイド物語」につづいての作品です。今や小学校でも良く歌われるあの「ドレミのうた」をはじめミュージカルらしくたくさんの愛唱歌が歌われました。監督は大ヒットした理由として「観客が家族全部で楽しめる映画を待ち焦がれていたからだろう」と語ったのも納得できますね。

舞台は戦前のオーストリア、ザルツブルグで、主役は映画デビューしたジュリー・アンドリュースが演じる修道女マリアでした。家庭教師として入った名門家庭が退役大佐トラップと子ども7人の一家、トラップは軍隊式の規律重視の教育一辺倒でしたが、マリアはその優しさと音楽で子どもたちと心を通わせました。いっしょに歌った「ドレミのうた」「エーデルワイス」「私のお気に入り」などは世界の名曲になっていきました。トラップ大佐はやがてマリアに恋をして結婚しますが、オーストラリアはナチスドイツに吸収されたために、一家は全員でアルプス越えから自由の国に逃れました。

実際このトラップ一家はその後世界を回って合唱団として成功しています。

マリアが持つ天性の楽観主義、壮大なアルプスの自然の美しさと相まって、やはり健康的な名画の一番でしょう。

 

まとめ

1960年代の名画を10作掲載してみました。やはりラブロマンスだけでなく、大型ミュージカル映画や戦記映画が主流であった気がします。やがて映画館から人影が少なくなっていき娯楽の多様化がオリンピック後いっそう進むことになりました。今では映画もケーブルテレビの洋画チャンネルやTSUTAYAなどのビデオレンタル、さらにはYoutubeなどでも見られますが。やはり大型スクリーンの映画館でビールとピーナッツやソフトクリームをいただきながら、懐かしく「妻」と見てみたいものです。

※参考資料:映画名のwikipedia 、 『その時、名画があった』玉木研二著、牧野出版など

 

60年代の昭和の名作邦画についてはこちらの記事に詳しく書いてありますので、チェックしてみてくださいね!

>>>昭和の名作邦画Ⅱ 1960年代懐かしすぎっ!

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