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70年代ポップスのアイドルだったレイフ・ギャレット!キュートな笑顔に胸キュン

70年代の洋楽ポップスで大好きだったのがレイフ・ギャレット。アイドル的な存在でふわふわの髪の毛やキュートな笑顔を見るたびにいつもドキドキしていました。お小遣いを貯めてレコード屋さんに行き、初めて買ったシングルがレイフ・ギャレットだったことを記憶しています。

日本でも大ブレイクしましたが、本国アメリカではアイドルとして若い女性達がいつも後を追いかけている状態。今ではかなりの年齢になってしまいましたが、外国タレントでこれほどまでアイドル要素があった人はほかにはいないのではないでしょうか。

そこで今回は、日本女子を夢中にさせてくれたレイフ・ギャレットの魅力を一緒に振り返ってみましょう。

 

80年代洋楽ヒット曲については、こちらの記事に書いてあります。
>>>80年代洋楽ヒット曲!CMで流れたあの曲は誰だか知ってる?

 

レイフ・ギャレットがブレイクしたきっかけ

出典:https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ef-7e/vw_vento_vw/folder/1559029/71/54531671/img_0

レイフはお父さんがスタントマン兼俳優で、母親が衣装デザイナーという芸能家族で1961年に誕生。70年代ポップス界でブレイクして80年の初頭まで世界的なアイドルとして活躍していました。とてもかわいい笑顔、ブルーの瞳はアメリカだけにとどまらず日本をはじめアジアの国でも大人気。

そもそもレイフは歌手としてスタートする前から、妹のドーンと一緒に子役として活動をすでにスタートしているです。「ウォーキング・トール」という映画では主人公の息子役として出演して演技が高評価され、さらにCBSのテレビドラマでは視聴率が低い番組にも関わらず、視聴者の女の子たちからファンレターが殺到するという現象が起こります。

こんな人気に目を付けた音楽界が男性アイドル歌手としてレイフに注目。アトランティック・レコードと契約をして歌手として本格的な活動を始めます。

 

サーフィンUSAの甘い声がたまらない!

出典:https://streamd.hitparade.ch/cdimages/leif_garrett-surfin_usa_s.jpg

レイフのヒットが始まるのは3枚目のシングル「サーフィンUSA」がリリースされたころで、この曲はビルボードホット100で20位、西ドイツで6位、オーストラリアで2位、スイスで4位とアメリカ以上に海外で人気を集めます。このころからトップ100入りの常連となり、西ドイツでは一番活躍した歌手として金賞を受賞。

次に発表した「ダンスに夢中」はビルボードホット100のトップ10入りをはたします。ちなみにこの曲は日本のオリコンの総合チャートで12位を獲得した70年代ポップスの洋楽ヒット曲です。

 

日本のCM出演がさらにブームに火をつけた!

出典:https://i.ytimg.com/vi/MLlEeNVDOuk/hqdefault.jpg

レイフ・ギャレットってなんとなく覚えている程度の人は多いかもしれませんが、日本でTVCMに出演して一躍アイドル的な存在になりましたね。

ナビスコのアイダホポテトのCMって皆さんご存知ですか?可愛いキュートな笑顔でレイフがお菓子をさくっと食べる映像は、当時のドキドキ感とともにいまだに記憶に残っています。

このCMでも「ダンスに夢中」が起用されたので日本ではすんなりアイドルとしての座を確保できたのかもしれませんね。時代とともにアイドルの魅力って変わっていますが、70年代のポップスは男性も女性も可愛いタイプがとても流行っていました。レイフも一見中性的な魅力があり、ワイルドな男性とはちょっと違う独特な魅力があった気がします。

 

トシちゃんがカバーした哀愁でいとも大ヒット

出典:https://i0.wp.com/i-article01.com/wp-content/uploads/2018/01/2018-01-11_100504.png?resize=213%2C200

1979年にレイフがリリースしたアルバム「Feel The Need」に収録されているシングル曲「ニューヨーク・シティ・ナイツ」はたのきんトリオのトシちゃんがカバーして「哀愁でいと」というタイトルで日本で大ヒットしています。

オリジナル曲はアメリカからやってきたことを知らないトシちゃんファンも多かったかもしれませんが、日本とアメリカのアイドル対決みたいで楽しめましたね。

なんとなく二人とも可愛い雰囲気が共通点で、飽きるほどどちらの曲も聴いた記憶があります。トシちゃんの哀愁でいとはオリコン推定売上71.9万枚で自身のセールス記録の中でも最大といわれています。

この曲でトシちゃんは大晦日の紅白歌合戦に初出場。きっとレイフには色々な恩を感じているかもしれませんね。

 

ピンク・レディーもお世話になった!

出典:http://3m3y892ngk5k1mjv4e2in6jm.wpengine.netdna-cdn.com/wp-content/uploads/2017/06/landscape_showbiz-leif-garrett.jpg

レイフの冠番組が1979年からCBSでスタート。番組のタイトルは「レイフ」そのままで、番組には美少女として人気絶頂のブルック・シールズなどが出演しています。

この番組で意外なゲスト出演したのが日本のピンク・レディー。この時のエピソードは日本で当時人気があった「NTVザ・ヒット! ピンク百発百中!」という番組で紹介されていますが、メインを務めるピンク・レディーのバラエティ番組的な存在でした。

この番組でアメリカでレイフと競演したことがとても大きく取り上げられましたが、ファンならとても嬉しいコラボだったかもしれません。

 

人気が激減したワケについて

出典:http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2010/12/01/article-1334585-0C4C793D000005DC-800_224x309.jpg

レイフ・ギャレットはきっと年をとってもダンディなおじさんになってテレビで活躍してくれるだろうと、誰しも同時は願っていたでしょう。しかし70年代のポップスのプリンスだったレイフは、人気がピークの1979年に麻薬と飲酒による交通事故がきっかけで人気が激減してしまいます。

この時期になるとレイフは作り上げられたアイドルの姿に嫌気がさしたせいか、とてもワイルドな私生活になり当時フィアンセのニコレットと露出度の高い写真を公開するなど、芸能情報で引っ張りだこになってしまいます。

レコードのリリースは1981年の作品が最後になり、俳優業に戻って「アウトサイダー」に出演もしています。しかしこれ以外では役に恵まれず成功しない時期がずっと始まってしまうのです。

レイフは1990年代になるとテレビや映画出演がめっきり減り、ヘロイン中毒になったことものちに自ら告白していますが、アイドルの苦悩は世界どこも同じなのでしょう。

 

人気頂点の裏側で起きていたこと

出典:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3f/Leif_Garrett_in_2016.jpg

レイフはドキュメンタリー番組で麻薬について語っています。アイドル的な存在としてよく比較されるのがジャスティン・ビーバーですが、レイフはジャスティンと自分の違いは取り囲む周囲の人種だとも言っています。

レイフが人気絶頂時は常に一儲けしようと周囲に集まる人ばかりで、本当はやりたくないアイドルのポップスを無理やり歌っていたとも告白。せいぜい5年をめどにアイドルをやるつもりだったとも言っています。

最後のアルバムのプロデューサーとして、都倉俊一さんがレコーディング中のレイフの態度をエッセイで書いていますが、ガールフレンドをスタジオに連れてきて膝の上に乗せて歌ったというエピソードがあるようです。

 

70年代ポップスのアイドルは実はワイルドな人だった!

やんちゃでやりたい放題だった若い時代、ちょっと道を外してワルになってしまうのはよくあるお話。ファンとしてはアイドル時代の可愛い笑顔を覚えておきたい思いがあるのでは。

 

ノーランズについては、こちらの記事をチェックしてみてくださいね!
>>>70年代洋楽のディスコヒット!キュートなノーランズを覚えてる?

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