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懐かしいバンドのベイ・シティ・ローラーズに夢中になったあの頃!

懐かしいバンドのベイ・シティ・ローラーズ。洋楽にハマるきっかけになった人も多いと思いますが、アイドル的な存在でとにかく夢中になった時代がありました。アイドルっていつの時代でも人気を独り占めする存在。あのころも海外のアイドルとして日本国内でも熱い視線を集めていましたよね。

懐かしい海外バンドは数えきれないほどありますが、昭和に刺激を与えてくれたベイ・シティ・ローラーズは特別な存在。部屋中にポスターを貼りつけてひとりドキドキしながら見ていた記憶があります。では昭和の懐かしいバンド、ベイ・シティ・ローラーズの思い出を振り返ってみましょう。

 

80年代の洋楽ヒット曲については、こちらの記事書いてあります。
>>>80年代洋楽ヒット曲!CMで流れたあの曲は誰だか知ってる?

 

ベイ・シティ・ローラーズの始まり

出典:https://stat.ameba.jp/user_images/20160504/22/secondflight-0814/81/f1/j/o0800053013637044844.jpg?caw=800


懐かしい海外のバンドは当時アメリカかイギリスがメインになっていました。ベイ・シティ・ローラーズもイギリス・スコットランド出身。アイドル的な存在でイギリスではもちろん、アメリカ、日本でも大旋風を巻き起こしました。

そもそものバンドのはじまりですが、1965年にサクソンズというグループでスタート。アラン、デレクと友達4人で結成されました。ベース担当のアランとデレクは兄弟。この二人は1968年にグループの名前を「ベイ・シティ・ローラーズ」に改名して1971年に「朝まで踊ろう」でシングルデビューします。

グループ名がなぜベイ・シティ・ローラーズになったかというと、そのいきさつは、名前を決める時にアメリカの地図にダーツを投げ、刺さったところがミシガン州のベイシティという街だったからというエピソードがあります。意外と簡単な決め方だったんですね。

バンドのマネージャーであるタム・ペイトンは1974年にレスリー・マッコーエン(リードボーカル)、エリック・フォークナー(リード・ギター)、スチュアート・ウッディ・ウッド(サイド・ギター後ベース)、アラン・ロングミュアー(ベース)、デレク・ロングミュアー(ドラム)の5人で結成をします。それからリリースした曲は次々とヒットして世界ツアーなども行うほどの人気ぶりになりました。

 

タータンチェックがトレードマーク

出典:http://image.pia.jp/images2/static/pia/feature/music/ygk/bcr_main.jpg


懐かしいイギリスバンドのベイ・シティ・ローラーズはファッションも刺激的で当時若い男子は真似したくてしたがなかったでしょうね。バンドのトレードマークになっていたのがタータンチェック柄。さすがイギリスのバンドだけあって品の良さだけは残しておきたっかたのもしれません。

タータンチェックはマフラーやジャケット、シャツ、パンツなどさりげなく取り入れられ、タータンチェック柄をみるとなぜかドキドキする女子もいたでしょう。

ベイ・シティ・ローラーズがブレイクしていた70年代は、田舎町の洋品店でもタータンチェックが並んでいたほど。バンドからファッションブームが生まれるなんてさすがですよね。「タータンハリケーン」というのはこのバンドから生まれた言葉です。

 

ヒットソングを覚えてる?

出典:https://pds.exblog.jp/pds/1/200609/30/18/c0048418_23354712.jpg


ベイ・シティ・ローラーズのヒット曲はたくさんありますが、そのなかでもおなじみなのが「バイ・バイ・ベイビー」(1975)、「サタデー・ナイト」(1976)です。

バイ・バイ・ベイビーはもともとフォー・シーズンズが1965年にリリースしたシングルをベイ・シティ・ローラーズがカバーしたもの。バラード系の曲をロック調にしアレンジしたことで、この曲はイギリスで6週間連続でヒットします。

日本では郷ひろみのカバーもされています。他にも日本では6代目のいいとも青年隊やWinkによるカバーもあり、きっと世界中を探したら色々な国でこの曲はカバーされているような気がします。

 

日本来日で大フィーバー!

出典:http://park17.wakwak.com/~nobulie/bcr2.JPG


懐かしいバンドであのころ寝てもさめても頭から離れなかったベイ・シティ・ローラーズ。いつか目の前で見てみたい!と思っていた日本女子は当時たくさんいたはずです。

そんなとき日本を駆け巡ったベイ・シティ・ローラーズの来日ツアー情報。あまりの熱狂ぶりで学校では「ライブ禁止令」が出るところもあったようです。

ジャパンツアーは1976年に行われました。空港ではどこからこんな人が集まったのかと思われるほどの人が集まり、熱狂するファンでかなりのテンションだった様子。高校生が学校をさぼってベイ・シティ・ローラーズを見に行くなど、社会問題にもなるほどでした。

さらに日本では熱狂ファンがイギリスまでベイ・シティ・ローラーズに会いに行き、行方不明になったりビザなしでイギリスの日本レスランで働いているところを見つかったなど、犯罪がらみになるような事件も起こっています。

それほどリスクをかけても会いに行きたいベイ・シティ・ローラーズ、来日したときの様子はマイケル・ジャクソンなみだったのかもしれませんね。

 

甘いマスクのレスリー・マッコーエンにハマった女子続出!

出典:https://img.barks.jp/img/article/1000119973/H/1200.jpg


1974年にリードボーカルとしてバンドに加わったレスリー・マッコーエンはアイドルの基本のような、甘い声とマスクが人気で世界中の熱狂ファンを魅了してくれました。

こんなアイドルのプライベートはファンならかなり気になるところでしょう。レスリーの奥さんになった人は女性の敵のような存在、意外なことになんとレスリーの奥さんは日本人女性だったのです。

奥さんはロンドンにあるミモザクラブというレストランのオーナー。このお店にはセレブもよく出入りして、デヴィット・ボウイなどミュージシャンからも人気があったそうです。

ある時友達を通じて紹介されたことがきっかけで二人は1983年に結婚。奥さんはレスリーのことを全く知らずに知り合ったそうですが、熱狂ファンにとってはまるで夢のようなお話です。

お二人にはお子さんが一人いて、名前は「ジュウベイ」。日本語名の名前で月岡十兵衛としてモデルやカンフーインストラクターとして活躍しています。日本名が時代劇の登場人物みたいでインパクトがありすぎますね。

 

懐かしいバンドベイ・シティ・ローラーズは今でも活躍中

日本ツアーで最近も訪れているベイ・シティ・ローラーズ。昔のようなアイドル的な可愛いイメージはありませんが、人気曲を聴くとタータンチェックで頑張っていた当時を思い出しますね。いつまでも元気で私たちのテンションをあげて欲しいですね。

 

ノーランズについては、こちらの記事をチェックしてみてくださいね!
>>>70年代洋楽のディスコヒット!キュートなノーランズを覚えてる?

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