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世界を熱狂させた懐かしいサッカー選手たち

1930年(昭和5年)に第1回FIFAワールドカップ(W杯)が開催されました。全世界で熱狂しテレビ観戦者や経済効果がオリンピックを凌ぐとも言われるスポーツイベントのW杯。

多くのスーパースターがW杯で生まれ、また名声を高め、サッカーの歴史を創ってきました。世界を熱狂させた懐かしいサッカー選手たちを思い起こしてみましょう。

 

昭和の外国人プロレスラーについては、こちらの記事に書いてあります。
>>>昭和のプロレスに欠かせない外国人プロレスラーの存在

 

ペレ(ブラジル)

出展:https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fwww.maniado.jp%2Fusrimg%2F10_b65d3fb06b180e5ed46fde4425ff54c5&twidth=1000&theight=0&qlt=80&res_format=jpg&op=r

「サッカーの王様」と称されるペレは、史上最高のサッカー選手のひとりと言っても過言ではないでしょう。ペレは1940年生まれのブラジル出身で、本名をエドソン・アランテス・ド・ナシメントといい、「ペレ」は愛称なのです。

1956年15歳でサントスFCにてプロデビューを果たし、16歳で得点王を獲得するとブラジル代表に選出され、17歳で出場した1958年のW杯で大活躍し優勝に貢献しました。

この時に付けていた「背番号10」がサッカー界のエース番号として以降定着することになったのです。ペレは4度W杯に出場し3度優勝するという快挙でサッカー王国ブラジルの象徴であり英雄でした。

「ペレは別格だった。完璧な人間や選手はこの世に存在しないが、殆どのプレーを完璧にこなし、相手の意表をつくこともできた」(ジト)というほど、抜群の身体能力にテクニックや発想力を兼ね備え類まれな得点能力を持ち、サッカー選手に必要なあらゆる能力に秀でた「サッカーの王様」です。

 

ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)

出展:https://i.pinimg.com/originals/c0/4f/6e/c04f6e9c3bfda6f6498cecc60973d975.jpg

言わずと知れたアルゼンチンが誇るスーパースターで「20世紀最高のサッカー選手」としてペレと並び称されるマラドーナ。

1960年に生まれ、史上最年少の15歳で1部リーグプロデビューし、代表チームにも最年少の16歳でデビューします。1979年のFIFAワールドユースでは母国を初優勝に導きました。

W杯には1982年以降4大会連続出場し、特に1986年のメキシコ大会は「マラドーナのための大会」と言われるほどの活躍で優勝しました。

この大会で「神の手ゴール」が生まれ、伝説となった「5人抜きゴール」で全世界に衝撃を与えました。このシーンは今でも鮮明に覚えている人も多いでしょう。

マラドーナは小柄で身長165cmですが、ゴム鞠のような肉体には物凄いポテンシャルがありました。強靭なフィジカルに驚異的なスピードと圧倒的なテクニックでドリブル・パス・シュートの全てが天才的でした。

「神の子」言われるサッカーの天才マラドーナの神業プレーは、憧れであり目標だったという多くのサッカー選手がいます。サッカー未経験者でも惚れ惚れするマラドーナのプレーに釘づけでした。

 

ヨハン・クライフ(オランダ)

出展:http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/aeafccb9e81a4c69a60aad8032bd5d7a95be0c6a.50.2.2.2.jpg?thum=53

1947年オランダ生まれのヨハン・クライフは選手としてまた指導者としてオランダのアヤックスやスペインのFCバルセロナで主に大活躍しました。

「名選手、名監督にあらず」を覆したクライフは近代サッカーの生みの親とも呼ばれるほど多大な功績を残した人物です。

「全員攻撃・全員守備」を基本とした「トータル・フットボール」という戦術を体現することで確立しました。

サッカー史上最大の発明と言っても過言ではないほどサッカーを大きく変えたのです。今でもオランダ代表やスペイン代表のチーム戦術の基本となっています。

世界有数の強豪チームFCバルセロナの華麗なパスサッカーにもクライフの戦術や育成手法がベースになっているのです。

サッカー選手の憧れのテクニックである「クライフターン」という華麗なフェイントを生み出したことでも有名ですよね。

テレビ放送された試合中のベンチで監督のクライフが禁煙のため食べていて大反響となって世界的ヒット商品となったものがあります。それは「チュッパチャップス」です。そのエピソードから同社がFCバルセロナの公式スポンサーになったのです。

 

ミッシェル・プラティニ(フランス)

出展:http://footwall.verse.jp/wp-content/uploads/2015/06/5bb95725.jpg

1955年フランス生まれのプラティニは、1980年代を代表するフランスサッカー界の至宝で「将軍」と呼ばれていました。

ゲームメーカーとして広い視野で多彩なパスを出し、ゴールゲッターとして華麗なテクニックで相手をかわしゴールに無理なく冷静に流し込むようなシュートが得意でした。フリーキックの名手としてもとても有名でしたね。

W杯には3大会出場しましたが怪我などで体調が十分でなく悲運もありました。しかし1984年のUEFA欧州選手権ではフランスの優勝に貢献し得点王とMVPを獲得、また1985年に日本で開催されたトヨタカップではユヴェントスを優勝に導きMVPに輝きました。

このトヨタカップでの幻のゴールは史上最も美しいシュートと言われました。胸トラップから華麗なキックフェイントで3人の相手をかわし、そのまま反転してボレーシュートを決めゴールネットを揺らしました。

スタジアムが大歓声に包まれましたがオフサイドフラッグが揚がったのです。この判定に抗議するそぶりで芝生に寝そべって頬杖をつく姿がとても印象的でした。

1983年から3年連続でバロンドール(年間最優秀選手)を受賞する活躍をしました。

 

フランツ・ベッケンバウアー(ドイツ)

出展:https://www.tabibito1.com/data/tabibito/product/20150105_f09be9.jpg

1945年旧西ドイツ生まれのベッケンバウアーは、70年代を代表するサッカー選手の一人で「皇帝(カイザー)」と呼ばれ、数々のタイトルを獲得しました。

W杯には1966年から3大会連続出場し、1974年母国開催の西ドイツ大会では主将としてチームをまとめ、ヨハン・クライフを擁するオランダに競り勝ち優勝に導きました。

この優勝後「強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ」という名言を残しました。オランダが優勝すべきだったとの声が多くあったため、勝ったのになぜ強いと言われないのかという意味でした。

ベッケンバウアーは「リベロ・システム」という戦術を作ったことでも歴史的な名選手なのです。ディフェンダーは守備専門という概念を変え、攻撃に参加するスイーパーとして攻撃の起点となるパスを出したり、チャンスには時に攻め上がり得点に絡んだりしました。

1984年に代表監督に就任し、W杯1986年準優勝、1990年優勝と監督としても輝かしい成績を残しました。

 

日本から世界のスーパースターを期待

1998年W杯に日本代表は悲願の初出場を果たし、日本にとって6大会連続出場となる第21回W杯ロシア大会が今年の6月に開催されます。W杯直前の4月に監督解任交代となった日本代表。

このドタバタを乗り越えて日本代表の快進撃を期待しています。そのためにも日本からスーパースターとなる選手が出現し世界を驚かせ、新たなサッカーの歴史を創ってほしいと願っています。サムライブルーを応援しましょう!

 

キャプテン翼については、こちらをチェックしてみてくださいね!
>>>キャプテン翼は漫画とアニメで世界的に有名

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アキラ

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