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昭和を熱くしたスポーツ選手(ボクサー特集)

1930~1940年代にかけて活躍し拳聖と呼ばれる「ピストン堀口」や、1952年に日本人として初めて世界チャンピオンになった「白井義男」など、多くのボクサーが昭和の日本を熱くしました。昭和に活躍した伝説のボクサーを懐かしんでみたいと思います。

 

昭和の日本人プロレスラーについては、こちらの記事に書いてあります。
>>>昭和のプロレスを覚えていますか?その当時の日本人プロレスラー

 

輪島功一

出典:http://jpba.gr.jp/images/archive/1970_06_wajima/03.jpg


1943年樺太生まれの輪島功一は、戦後3歳の時にソ連に占領され北海道に移住しました。大変苦労して育ち体力や根性が培われたのです。

24歳でボクシングを始め、1968年に25歳でプロデビューをするという通常より遅いスタートでしたが全日本ウェルター級新人王を見事獲得しました。

1971年に28歳で世界スーパーウェルター級チャンピオンとなり6度の防衛を果たし、3度の王座獲得を成し遂げ「炎の男」と呼ばれました。

変則的なテクニックとその発想がユニークなボクサーで、代名詞と言える技である「カエルパンチ(かえる跳びパンチ)」は相手の視界から消えるように極端に身をかがめた瞬間、跳び上がるように突き上げるパンチでした。あまりにも有名な技ですが1度しか試合では使っていないのです。それだけインパクトがありました。

「あっち向いてホイ(よそ見パンチ)」は自らの視線を別の方向にわざと向け、相手が釣られてその方向を見た瞬間を叩くという奇襲戦法です。ダメもとで行った奇想天外な発想が面白いですね。他にも「猫じゃらし」という技もよく使っていました。

1978年にプロボクサーを引退後、1980年に「だんごの輪島」を創業し話題になりました。

 

ガッツ石松

出典:http://livedoor.blogimg.jp/ninji/imgs/8/e/8eb2f52b.png


現在タレントや俳優として存在感のあるキャラクターとして知名度も高い「ガッツ石松」は元世界ライト級チャンピオンでした。

ガッツ石松は1949年栃木県出身で1966年にプロデビューし、1974年に世界ライト級チャンピオンになり、選手層の厚いライト級で5度のタイトル防衛を果たす名ボクサーでした。

しかし世界チャンピオンになるまで10敗以上と伸び悩み、所属ジムからガッツあるボクサーになるようにと、それまでのリングネーム「鈴木石松」から「ガッツ石松」に改めたのでした。因みに石松は清水次郎長の子分である森の石松が由来です。

現在では勝利した時の「ガッツポーズ」が世の中に広まり定番になっていますが、このガッツポーズを広めたきっかけはガッツ石松でした。1974年に世界チャンピオンになった日、4月11日は「ガッツポーズの日」となっています。

1978年に引退後は、個性的な俳優として多くのドラマや映画に出演し、タレントとしてクイズ番組やバラエティ番組での受答えも独特で味があり、特に「OK牧場!」というフレーズのギャグは有名ですね。はなわの歌『伝説の男 〜ビバ・ガッツ〜』を聴きたくなりました。

 

具志堅用高

出典:http://mayb.xyz/wp-content/uploads/2015/06/gushiken1.png


昭和を代表するボクサーと言って、最初に頭に浮かぶのは具志堅用高ではないでしょうか。アフロヘア―に口髭がトレードマークで「カンムリワシ」の異名がありました。

1955年沖縄県石垣市出身の具志堅用高は、興南高校でボクシングを始めインターハイ優勝など輝かしい実績をもって上京し協栄ジムに入り、1974年にプロデビュー。

1976年にフアン・グスマンを見事KOで破り世界ジュニアフライ級(現ライトフライ級)チャンピオンを獲得しました。因みに具志堅は愛犬(ボクサー犬)に「グスマン」と名付けています。当時日本最短のプロ9試合目での世界王座奪取でした。

その後も6連続KOなど快進撃が続き、1980年まで13度連続で王座防衛を果たしました。世界戦13連続防衛、年間4度の防衛、4年半の世界タイトル保持など日本記録を打ち立て、本当に強い憧れのボクサーでした。

1981年の敗戦後引退、通算成績は 24戦 23勝(15KO)1敗。まだ26歳の若さであり現役を続けてほしいととても残念でした。

14度目の防衛戦で、計量パス後のルーティンであったアイスクリームを取り上げられてしまったショックが敗戦の要因であったと本人がバラエティ番組で語っていました。アイスクリームを食べさせてあげたかったですね。

引退後はタレントとしても人気で、特にクイズ番組やバラエティ番組で人懐っこい人柄と笑顔で、時に珍解答もご愛嬌です。

片岡鶴太郎らのものまねで有名になった「ちょっちゅね」(そうですね)が、具志堅用高の代名詞になっていますよね。

現在ではタレントとして愛されキャラの具志堅用高ですが、2015年に国際ボクシング殿堂入りを果たし、日本が誇るボクシングスターであったことを思い起こさせてくれました。

 

赤井英和

出典:https://iwiz-chie.c.yimg.jp/im_siggCppkVmBSDSYjElTSEkzpjA—x320-y320-exp5m-n1/d/iwiz-chie/que-10178783935


俳優やタレントとして活躍している赤井英和は、「浪速のロッキー」として人気を博したボクサーでした。

1959年大阪市西成区出身で、中学・高校時代は大阪で有名なヤンチャでした。喧嘩で負けたことがなく、ここで誰が一番強いか勝負したいタイプで弱い者には手を出しませんでした。

浪速高校でボクシングを始め、インターハイやアジアジュニアアマチュアボクシング選手権で優勝し、近畿大学に進学しオリンピックを目指します。しかし、モスクワ五輪のボイコット(日本代表の出場辞退)によりその道は閉ざされ、1980年プロに転向しました。

プロ4戦目でジュニアウェルター級全日本新人王を獲得、デビューから12試合連続KO勝ちするなど攻撃的なスタイルから「浪速のロッキー」という異名で親しまれ、試合後のユニークな発言も人気でした。

1983年に世界タイトルマッチで王座獲得に挑戦しましたが、惜しくもTKO負けを喫しました。再起を掛けていた1985年大和田正春との試合でKO負けの後、意識不明に陥り一時生死を彷徨い、医師から引退勧告が出て現役を退きました。

1988年に俳優デビューをした映画『またまたあぶない刑事』へのゲスト出演がきっかけとなり、その後『どついたるねん』で主役を飾りました。俳優としてタレントとして関西弁の個性的で豪快なキャラで人気があります。

 

5月19日は何の日?

1952年5月19日に白井義男が日本人初の世界チャンピオンになったことを記念し、2010年に日本プロボクシング協会が5月19日を「ボクシングの日」と制定しました。

日々精進している多くのボクサーが世界チャンピオンという夢を掴み取ってほしい。また井上尚弥や村田諒太など既に栄光を掴みスターとなったボクサーにも永く活躍していてほしいと、祈念した「ボクシングの日」5月19日でした。

 

昭和の大相撲については、こちらの記事を読んでみてくださいね。
>>>昭和の大相撲を盛り上げた力士を振り返る!第1弾

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アキラ

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