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昭和のゴルフといえば、活躍したのはこのプロゴルファー!

昭和の日本ゴルフ界を長い間牽引し、ゴルフをメジャーな競技として高めることに貢献したのは青木功・尾崎将司・中嶋常幸の「AON」時代があってこそということは周知の事実です。

1970年代以降、この3人の大活躍により勇気づけられたり、ゴルフに夢中になったりと人生に影響を受けた人も多いでしょう。

今回はゴルフ界のレジェンドたち「AON」を思い起こしてみましょう。

 

昭和大相撲については、こちらの記事に書いてあります。
>>>昭和の大相撲を盛り上げた力士を振り返る!第1弾

 

青木功

出典:https://image.middle-edge.jp/medium/1faeaece-19a8-45ad-bbce-391995cdb92e.jpg?1469435277

1942年生まれ千葉県我孫子市出身の青木功は14歳の時にキャディのアルバイトをしたことがきっかけとなりゴルフを始めました。

1964年にプロテストに合格、1971年に日本ツアー初優勝、1976年に日本ツアー賞金王に初めて輝き、1978年から4年連続賞金王を獲得する活躍をしました。日本ツアー通算51勝は歴代2位を誇ります。

青木功は海外での活躍もすばらしく、海外で最も有名な日本人プロゴルファーのひとりです。「世界のアオキ」や「オリエンタルマジック」と称され、100ヤード以内の技術は世界一と名立たる名プレイヤーたちを唸らせました。

1978年に海外で初優勝した「世界マッチプレー選手権」や1980年に帝王ジャック・ニクラウスと死闘を繰り広げ惜しくも準優勝の「全米オープン」での活躍。特に1983年にPGAツアー日本人初優勝を飾った「ハワイアンオープン」での奇跡の一打は80年代を代表する名ショットのひとつに選ばれました。

最終日の最終ホール、ピンまで128ヤードのショット、チップインイーグルを決めて逆転優勝。まさに奇跡を起こしたのです。

このショットで使用したピッチング・ウェッジは世界ゴルフ殿堂施設に展示されています。日本人男子ゴルファー初の世界ゴルフ殿堂入りを2004年に果たしました。

テレビのゴルフ解説でもお馴染みで、フランクで親しみのある口調の解説に人柄がよく表れていますね。

 

尾崎将司(本名:尾崎正司)

出典:https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/golfes-images-tool-test/images/1284203.jpg

ゴルフに詳しくなくても「ジャンボ尾崎」は知っていると言うほど昭和を代表する名ゴルファーです。

「ジャンボ」のニックネームはプロゴルフにデビューした1970年当時、ジャンボジェット機(ボーイング747)が導入され想像を絶するような機体だったことから、逸材の新人にスポーツ記者によって名付けられたものでした。

「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司は1947年に徳島県で生まれ、1964年には海南高校のエースとして春の選抜高校野球大会に初出場し見事優勝を果たしました。翌年西鉄ライオンズに入団するもプロ野球では一番に成れないと3年で退団、プロゴルフで一番になることを決意したのです。

野球で培った体力とパワーがあったにせよ、転向後想像を絶するような努力をしたことでしょう。1970年にプロテストに一発で合格しました。1971年に日本プロゴルフ選手権で初優勝するなど才能が若くして開花し、1973年にはツアー賞金王の初代王者に輝きました。

国内ツアー通算94勝を含む優勝回数113回(113回は世界プロツアー最多記録でもある)、メジャー大会優勝20回、賞金王獲得12回など前人未到の数々の記録を打ち立てています。これはぶっちぎりの記録で全盛期のジャンボは本当に強く、憧れてプロゴルファーを目指した子供たちも多くいました。

奇跡的に8打差を逆転して優勝するなど、神懸かった数々のプレーやカリスマ性のある圧倒的な存在感はとても人気がありました。

襟足部分の髪を伸ばしたマレットという髪型がトレードマークで、手首を曲げた独特のコブラガッツポーズなどパフォーマンスもファンを引き付けました。

次男の尾崎健夫(通称:ジェット)や三男の尾崎直道(通称:ジョー)、飯合肇(通称:コング)、川岸良兼などジャンボを慕い多くの仲間や後輩らが集いジャンボ軍団を結成し合同でトレーニングを行い多く名ゴルファーが成長し活躍しました。

55歳でツアー優勝し最年長優勝記録(1973年ツアー制度施行後)を樹立し、66歳にはエージシュート(年齢以下の打数でホールアウト)をツアー史上初めて達成しました。年齢より4打少ないスコア62でした。

日本におけるゴルフ人気の定着に多大なる貢献をしたことが高く評価され、世界ゴルフ殿堂入りを2010年に果たしています。男子では青木功に継いで二人目の快挙です。

 

中嶋常幸(本名:中島常幸)

出典:https://golf.dunlop.co.jp/images/newstopics/2012/2012_w31_01.jpg

1954年に群馬県で生まれ、10歳からゴルフを始め、父の厳しい指導でアマチュア時代から実力をつけ史上最年少の18歳で日本アマチュアゴルフ選手権に優勝。

1975年にプロ入りし翌年には日本プロツアー初優勝を飾り、以降通算で48勝を挙げ歴代3位の成績を残しました。

1982年に賞金王を初めて獲得すると、1986年までの5年間で4度の賞金王に輝きます。

特に1985年の活躍はすばらしく日本タイトル4冠目となる日本オープン選手権を獲得し、ダンロップ・フェニックス選手権を日本人選手で初めて制するなど年間6勝を挙げました。1985年は年間獲得賞金額が日本プロゴルフ史上初めて1億円越えを達成しての賞金王となりました。

海外では愛称の「トミー」と呼ばれ、「トミー・ナカジマ」の登録名で活躍しました。世界4大メジャー大会の全てで10位以内に入ったことがある日本人選手は「トミー・ナカジマ」だけでした。

(1986年全英オープンとマスターズ・トーナメント8位、1987年全米オープン9位、1988年全米プロゴルフ選手権3位)

日本シニアオープンを2005年に制し、すでに優勝している日本アマ・日本オープンとあわせてJGAオープン選手権3冠を達成しました。

さらに2006年には日本プロゴルフシニア選手権大会を優勝し、「日本」が冠タイトルにつく公式戦をアマ・プロ・シニア含めて全て優勝するという、7冠を達成する快挙を成し遂げました。

中嶋常幸はスイングフォーム改造とスランプとの戦いも幾度とありました。常に向上心をもってフォーム改造にチャレンジし、スランプに陥っても復活してくる姿や、誠実で謙虚な人柄にとても好感が持てました。

 

4大メジャー大会制覇を期待

出典:http://bunshun.jp/mwimgs/5/5/1500wm/img_55a971d72566678ffc2b6d6f27166b0b424931.jpg

「AON」と言われる青木功・尾崎将司・中嶋常幸、この3人の活躍が日本ゴルフ界を大いに盛り上げ、競技人口を増やし底辺を広げてきました。

松山秀樹や石川遼など実力のある若いスタープレイヤーが活躍している昨今。世界の4大メジャー大会(全英オープン、全米オープン、全米プロゴルフ選手権、マスターズ・トーナメント)を日本人プレイヤーが初制覇する日が本当に待ち遠しいですね。

 

昭和のボクサーについては、こちらをチェックしてみてくださいね!
>>>昭和を熱くしたスポーツ選手(ボクサー特集)

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アキラ

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