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昭和の女子プロレスを盛り上げた女子プロレスラーたち

1970年代後半から女子プロレス界のイメージが一変し華やかに輝き出しました。アイドル的な女子レスラーの活躍とそれに対抗するヒールレスラーの存在感、その相乗効果があったのでしょう。

昭和の時代に活躍していた懐かしい女子プロレスラーを思い起こしてみましょう。

 

昭和のプロレスについては、こちらの記事にも書いてあります。
>>>昭和のプロレスを覚えていますか?その当時の日本人プロレスラー

 

マッハ文朱

出典:https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-20-73/rahyale/folder/913274/48/22738248/img_0


1959年熊本県生まれ。1972年13歳で歌手をめざして『スター誕生!』に出場し決戦大会に進むもスカウトの札は挙がりませんでした。この時の決戦大会で山口百恵がスターへの切符を掴んだのでした。

1974年にその体格と運動神経の良さ、空手や柔道・合気道といった格闘技の経験を生かしてプロレスに入門。1975年に16歳の若さでWWWA世界シングル王座(最年少記録)とWWWA世界タッグ王座を獲得します。

強いだけではなくそのタレント性から歌手や女優としてもデビューしました。13歳で挫折した歌手の道がプロレスを介して夢が叶ったのです。これまでの女子プロレス界のイメージを変え、アイドル的なレスラーの草分け的存在でした。

1976年にプロレスを引退しタレントの道を選択。その後も歌手・映画・ドラマ・クイズ番組・バラエティ・CMなど多彩に活躍しました。

 

ビューティ・ペア(ジャッキー佐藤・マキ上田)

出典:http://livedoor.blogimg.jp/aoyamaishida/imgs/6/a/6a7f5d73.jpg


ジャッキー佐藤(1957年神奈川県生まれ、1975年デビュー)とマキ上田(1959年鳥取県生まれ、1975年デビュー)のタッグチームで1976年~1979年に活躍、70年代のスーパースターでした。

ピンク・レディーが人気絶頂の頃、女子プロレス界ではビューティ・ペアがアイドル的な人気で大ブレイク。容姿や衣装など宝塚歌劇団的なカッコよさもありましたね。

「かけめぐる青春」「真赤な青春」「青春にバラはいらない」などのヒット曲を飛ばし、リング上で歌い黄色い声援と紙テープが舞う光景が恒例でした。

ビューティ・ペアに対抗し、同時期に○○・ペアが多く結成されました。

ゴールデン・ペア(ナンシー久美とビクトリア富士美)、ブラック・ペア(池下ユミと阿蘇しのぶ→マミ熊野)、ヤング・ペア(横田利美[ジャガー横田]と塙せい子)、シルバー・ペア(赤城マリ子とシルバーサタン)、ラブリー・ペア(ミミ萩原と佐藤ちの)など。

ジャッキー佐藤とマキ上田は1975年のデビュー戦でお互いに戦い、1979年には引退を掛けて2人は戦ったのです。敗れたマキ上田は引退しビューティ・ペアは解散という結末に、何とも残念な気持ちになりましたね。

 

ジャガー横田

出典:https://i.ytimg.com/vi/fybp2fwlWDE/hqdefault.jpg


1961年東京都生まれ、1977年デビュー。女子プロレスラーとしては身長160cmと大きくはありませんが、気迫あふれるストロングスタイルは誰もが認めるところです。これまでに数々のタイトルを獲得してきました。

ケガが元で1986年に一度引退しましたが、のちに復帰しデビュー40周年を迎え現在でも現役レスラーとしてファイトしているのです。最古参女子レスラーすばらしいですね。

医師の旦那様と一緒にタレントとしても活躍している姿をテレビでよく見かけます。

 

ミミ萩原

出典:http://img-cdn.jg.jugem.jp/2b6/2905055/20140304_2073202.jpg


1956年東京都生まれ。1972年『仮面ライダー』にライダーガールズとして出演。1973年に「おしゃれな土曜日」で歌手デビュー。テレビドラマや『8時だョ!全員集合』などバラエティ番組に出演するアイドルでした。

それがなんと1978年に女子プロレスラーに転身したのです。当時とても衝撃的な出来事でした。

デビューから連戦連敗と苦しみます。可愛いレスラーが痛めつけられる姿に心痛みました。体力・実力を身に付け、1981年頃から活躍しはじめ人気が出ました。

アイドル歌手から転身した異色のビジュアル系女子プロレスラーとして忘れられない存在でしょう。

 

クラッシュ・ギャルズ(ライオネス飛鳥・長与千種)

出典:https://pbs.twimg.com/media/DCspYlUUwAE5cIA.jpg


ライオネス飛鳥(1963年東京都生まれ、1980年デビュー)と長与千種(1964年長崎県生まれ、1980年デビュー)のタッグチームで1984年~1989年に活躍、80年代のスーパースターでした。

可愛いくもありかっこいい容姿に実力も兼ね備えていて、特に少女たちから絶大な人気を集め、ビューティ・ペア以来の女子プロレスブームを巻き起こしました。

「炎の聖書」「嵐の伝説」「夢色戦士」「東京爆発娘!」などのヒット曲、ブロマイドも飛ぶように売れ、まさに戦うアイドルスターでした。

特にダンプ松本やブル中野らの「極悪同盟」との戦いにファンは熱狂し、1985年の髪切りマッチで敗戦し剃髪した時は多くのファンが涙しました。

「Wサソリ固め」「W正拳突き」「サンドイッチ・ラリアット」などのツープラトン技もありましたね。

 

ダンプ松本

出典:http://www.profightdb.com/img/wrestlers/thumbs-600/8e2d4ce631dump-matsumoto4.jpg


1960年埼玉県生まれ、1980年デビュー。1984年に「極悪同盟」を結成し、クレーン・ユウ、ブル中野らとヒール(悪役)レスラーの代表格でした。

ベビーフェイス(善玉)で人気のクラッシュ・ギャルズの敵役として女子プロレスブームの盛り上げに一翼を担いました。

金髪に威嚇するメイクや衣装はインパクトがあり、手にはチェーンや鞭・竹刀・一斗缶などの凶器を持ち暴れまくる悪役に徹した姿はアッパレというしかないでしょう。

本当は優しい性格で後輩の面倒見もよく慕われる存在だったのです。タレントとして活躍しているときの素顔は優しい表情でしたね。

 

ブル中野

出典:http://0101bbs.net/wp-content/uploads/2017/06/C-s1Wu1U0AAtDV1-300×240.jpg


1968年埼玉県生まれ、1983年デビュー。ヒールレスラーになりたくなく何回も断ったが、ダンプ松本に強引に誘われ「極悪同盟」に加入。中野恵子から「ブル中野」にリングネームを変更、ダンプに対してブルと命名したのでした。

フェイスペイントにパンクやモヒカンがトレードマークでヌンチャクを振り回すヒールに徹しました。クラッシュ・ギャルズとの激闘で多彩な技と強さを身に付け、女子プロレスのトップレスラーになりました。日本人で唯一アメリカのWWE世界女子王座を獲得したのです。ヒールレスラーを超えた存在で実力だけでなくとても人気もありました。

素顔は愛嬌がある優しい顔立ちで新人の時は「パンダちゃん」と呼ばれていました。引退後ダイエットした姿・顔立ちがとても魅力的で、そのギャップに驚いた人は多いでしょう。リングを離れると温厚で優しくおっとりとした性格の女性なのです。

 

お気に入りの女子プロレスラーは

今回紹介できなかった昭和に活躍した女子プロレスラーはまだたくさんいますが、お気に入りの思い出深いレスラーはいましたか。

必死に戦っている姿に勇気をもらった人もきっと多いことでしょう。

 

タッチについては、こちらの記事を読んでみてくださいね!
>>>「タッチ」の甘酸っぱい世界が懐かしい

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アキラ

昭和を長く生きてきたので、皆さんと一緒に昭和を懐かしめたら嬉しいです。

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