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昭和の漫才ブームで好きだった漫才コンビは?

1980年代初めに漫才ブームが起こり、テレビ番組「THE MANZAI」など漫才がメディアを席巻。

漫才ブームをきっかけに多くの芸人たちが「オレたちひょうきん族」や「笑っていいとも!」など国民的番組で大活躍し、『笑い』がメジャーな存在になったのです。

漫才ブームで活躍した名コンビを思い起こしてみましょう。

 

昭和のテレビ番組については、こちらの記事書いてあります。
>>>昭和のテレビ番組で「あの頃見ていたなぁ」と思う懐かしいもの

 

B&B

出典:https://image.middle-edge.jp/medium/c9bd4d1980f5c932212377e5445ccdb8.jpg?1469119136

B&Bは1975年に島田洋七と島田洋八で結成されたコンビで爆発的な人気がありました。B&Bの東京進出が漫才ブームに火を付けたのです。

実は大ブレイクしたのは三代目B&B。1971年に洋七が初代B&Bを結成し、1973年二代目結成の相方は上方よしお(当時は上方真一)で後に西川のりお・上方よしおのコンビとして活躍。

コンビ名B&Bの由来は洋七のアルバイト先のディスコ名からですが、「ボーイ&ボーイ」の略と言うこともありました。

洋七のマシンガンのような超高速のテンポとパワー溢れる芸風は新鮮で強烈なインパクトがあり、とても面白くて当時夢中になって見ていました。

二人の掛け合いと間を大切にするこれまでの漫才スタイルと違い、ボケが一方的に高速でしゃべる新スタイルは、多くの芸人に影響を与えたのです。

代表的なギャグは「モミジまんじゅうー!」。二人の出身地である「広島VS岡山」ネタの中で洋七のアドリブから生まれました。

「もみじ饅頭」は洋七が佐賀のがばいばあちゃんに預けられていた時に、母からよく送られた幼少期の母の想い出でした。B&Bと共に「もみじ饅頭」は全国区の広島銘菓になったのです。

ほかには「めちゃめちゃ陰気やで〜」と陽気に笑ったり、「小野田さーん!」と洋八のアフロヘアーを掴んで頭に叫んだりするギャグなどがありました。

 

ツービート

出典:http://remi-piatek.com/wp-content/uploads/2014/04/2014-04-03_152856.jpg

ツービートは1972年にビートたけしとビートきよしで結成したコンビ。コンビ名ツービートの由来は好きなジャズからの説もあれば、本人が適当につけたとも言っています。

B&Bの島田洋七に影響を受けて、ビートたけしが勢いよくしゃべる高速スタイルの漫才に変えてから人気が出ました。

ブラックユーモアネタが多く今ではテレビで放送できないようなネタもあり、人によっては好き嫌いがあったかもしれません。

たけしが攻撃的な毒舌ネタを一方的にしゃべりまくり、きよしが「よしなさい」と諌めるスタイルでした。

たけしの首をくっと捻る独特な仕草、有名なギャグ「コマネチ!」は子供たちもよく真似したものです。

ビートたけしの活躍は言わずと知れたもので、「オレたちひょうきん族」ではタケちゃんマンなど人気キャラを生み、「スーパージョッキー」「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」「ビートたけしのスポーツ大将」「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」などたくさんあり、また見たいと思う番組ばかりです。

 

島田紳助・松本竜介(紳助・竜介)

出典:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41SDXDP-87L.jpg

1976年に島田紳助と松本竜介で結成し、漫才ブームをB&Bやツービートとともに牽引したコンビ。

B&B(二代目)の島田洋七を見て衝撃を受けた紳助は、洋七を超えたいと同門入りし洋七の漫才を学び研究したのです。

紳助・竜介は「ツッパリ漫才」として一世を風靡しました。つなぎの服に髪型はリーゼントというツッパリファッションで暴走族ネタなどワルなのに弱いという笑いを生み、特に10代から圧倒的な人気を得ました。

紳助がいきがっていて「うち、体弱いねん」と落とすネタが大好きでした。1985年当時まだ無名のダウンタウンの漫才を見て、自分たちの限界を感じコンビ解散を決意。

その後紳助は司会者として一時代をつくりました。司会者として天才的な才能を発揮し、司会者の印象が強い人も多いでしょう。

 

ザ・ぼんち

出典:https://image.middle-edge.jp/medium/2959cb23-4905-4c33-8021-cbed1985990d.jpg?1469155832

高校の同級生の二人、ぼんちおさむと里見まさとが1972年に結成。コンビ名「ぼんち」の由来は山崎豊子の小説名で、「ぼんち」とは関西弁で若旦那や器の大きい坊ちゃんを意味します。

男前で冷静なまさとと派手にボケるおさむのアンバランスが魅力的で、アイビールックがトレードマークでした。

漫才ブームで人気は全国区になり歌手としてもヒット曲を出し活躍しました。ザ・ぼんちは初めて日本武道館でコンサートを行った漫才師なのです。

「おさむちゃんで〜す」とおさむが自分の頭を拳で叩くふりをして、舌で音を出すギャグがお決まりでした。学校で子供たちが真似して流行ったのを覚えています。

橋幸夫のものまねで「潮来の伊太郎〜、あれ〜」というギャグやレポーターと司会者のやり取りで「そうーなんですよ、川崎さん」(おさむ)、「ちょっと待ってください、山本さん」(まさと)というネタなどもありました。

 

その他の人気だった漫才コンビ

横山やすし・西川きよし:1966年に結成。漫才ブーム以前から人気で通称「やすきよ」。やすしの「怒るでしかし!」、きよしの「小さな事からコツコツと」は定番で、やすしがメガネを落として「メガネ、メガネ」と探すネタは面白かったですね。

 

オール阪神・巨人:1975年に結成。二人の身長差23cmが特徴的なコンビで正統派のしゃべくり漫才。コンビ名はバラエティ番組「ヤングおー!おー!」でコンビ名を募集し採用されたもの。現在も活躍中。

 

西川のりお・上方よしお:1975年に結成。のりおのガラガラの大声で突発的で脈絡がないギャグは強烈な個性で印象的。「ホーホケキョ!」「ツクツクボーシ!」「ツッタカター!」「ラッタッター!」や「パッ! 天下ご免の向こう傷、パッ! 拙者早乙女、パッ! 主水之介!!」と旗本退屈男のギャグなど多数。現在も活躍中。

 

今いくよ・くるよ:1970年に結成。痩せ体型のいくよとポッチャリ体型のくるよの女性漫才コンビ。くるよの派手でフリル付の独特な衣装は見る度にインパクトがありました。「どやさ」のギャグやお腹を叩いたりする愛嬌のあるキャラは楽しかったですね。

 

太平サブロー・シロー:1976年に結成。ものまねを二人とも得意とし、「ものまね漫才」を作り出しました。特に横山やすし(サブロー)、西川きよし(サブロー)のものまね漫才は名人芸と言えるでしょう。

 

春やすこ・けいこ:1976年に結成。漫才界のアイドル的存在として活躍。やすこが一方的に芸能人ネタの毒舌をまくし立てて、けいこがなだめるネタが定番でした。

 

漫才ブームの頃の漫才をもう一度見たい

漫才ブームの前の1970年代は、コント55号やザ・ドリフターズが大活躍してコントに押され気味だった漫才。

漫才ブームがきっかけで漫才師に憧れや夢を抱いた若者も多くいたでしょう。当時のパワー溢れる個性豊かな漫才をもう一度楽しみたいですね。

 

8時だョ!全員集合
まんが日本昔ばなし
天才・たけしの元気が出るテレビ!!
>>>懐かしい!あの頃夢中になった昭和のテレビ番組

などについては、こちらの記事をチェックしてみてくださいね!

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アキラ

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