1970年代を脅かした恐怖のオカルト話を斬る ~わたし、キレイ?~

1970年代(昭和45年~54年)は、多くのオカルト話で盛り上がった時期。オカルトの中にも、ただただ恐怖心を煽られるもの、ロマンを求めることができるものなど、さまざまな特色あるものが生まれました。未だに謎に包まれたままのものも…。そのいくつかをご紹介します。
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【ツチノコ】1972年
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%81%E3%83%8E%E3%82%B3
日本に生息する未確認動物のひとつとして話題となったツチノコ(槌の子)。作家の田辺聖子氏がツチノコ捕獲に励む作家を小説に描いたことで全国にその名が知れ渡りました。ヘビの胴を太くしたような形態をしているといわれ、日本全国(北海道、南西諸島を除く)に目撃者がいることで本当に存在しているのでは?と噂になったのです。
1973年にはツチノコに遭遇したという矢口高雄氏(漫画家)がその姿を描いた漫画を発表したり、1974年には漫画「ドラえもん」の中でも取り上げられたりしたことで、ますます話題に。
現時点では、茨城県土浦市、岐阜県東白川村、兵庫県但馬地方、多摩川など多くの目撃があるツチノコですが、「トカゲの誤認である」という説がもっとも有力となっています。1970年ごろから日本で飼育されるようになった太目のアオジタトカゲは、目撃情報の姿とそっくり。ただ、ツチノコの尻尾は細いといわれていますがアオジタトカゲは太いので、この点が食い違っています。その他も蛇を誤認したのでは?などいろいろな説があり、結局未だにその存在は証明できていません。
【ノストラダムスの大予言】1973年
出典:http://serogan.la.coocan.jp/paperback/wp-content/uploads/2016/09/4396100558.jpg
占星術師ノストラダムス(フランスの医師)の著書『予言集』(初版1555年)の中に書かれていた「1999年に人類が滅びる」という大予言が日本で話題に。1973年に五島勉氏がこの本の内容を解釈した著書を発表しベストセラーになったことが、ブームのきっかけをつくりました。
人類滅亡というショッキングな内容はたちまち日本中に知れ渡り、当時の子どもたちに恐怖心を植えつけたといわれましたが、実際には“それを話題に怖がって遊ぶ”というニュアンスに近かったような気がします。
【ネッシー】1975年
出典:http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/20-23b9.html
日本だけではなく世界的な規模でメディアが取り上げたネス湖の未確認動物【ネッシー】。ネッシーが最初に目撃されたのは1933年でしたが、その後も何点か写真が公表されています(外科医が撮影した一部の写真は、トリックであったことが証明されています)。
そして、1970年代にフランク・サール氏が非常に鮮明な写真をとったことから日本でも大きな話題に。アメリカのロバート・ラインズ博士の研究チームが撮影した水中写真が発表された1975年ごろが、もっともブームとなった年でした。
あの石原慎太郎氏も、過去に探索隊を結成しネス湖を何度か調査したことがあるほどネッシーの存在を信じていたそうです。
また、このネッシーブームは、日本においても新たな話題を生み出し、池田湖のイッシー、屈斜路湖のクッシーなども国内の未確認動物として取り上げられました。その後、1977年日本の漁船がニュージーランド沖にて、ある腐乱遺骸を引き上げたことも大きな話題に。当時はその正体が確認できない動物であったことから、ニューネッシーの名前がつけられたことがありますが、結局は大型のサメであったということで決着しています。
このように世界中を賑わせたネッシー騒動ですが、大型恐竜が陸生であることがわかってからはその可能性は薄らぎ、結局のところ科学調査においても大型爬虫類の存在を肯定することはできませんでした。また、これまで発表された数々の写真も、コンピュータ解析により水鳥、ボート、ボートの航跡、流木、何かの小さな影であることが確認されています。
【口裂けおんな】1979年
「わたし、キレイ?」
この言葉を聞いて当時の恐怖心を思い出した昭和生まれの人は多いのではないでしょうか?これは、社会現象ともなった『口裂け女』が語ることば。個人的に強く印象に残っていることもあり、特に詳しくご紹介します。一緒に遠い過去に仕舞いこんだ記憶を甦らせましょう。
<口裂け女の概要は…>
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夜、ひとりで外を歩いていると、うしろから「とんとん」と肩を叩かれ振り返るとマスクをした若い女が立っている。
その女は「ねえ、私、きれい?」と聞いてくる。
「きれい」と答えると、女は「これでもきれい?」といいながらマスクを外し、耳まで裂けた口を見せる。
「きれいじゃない」と答えてしまうと、女に刃物で口を切られてしまう…。最悪殺されてしまう。
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これが、全国に広まったおおかたの口裂け女の概要。1978年12月に「岐阜県の農家の老婆が口裂け女を見た」というのが発端となり同県で噂になったのだそうです。その後、岐阜日日新聞、週刊朝日などマスコミが取り上げるようになってから、全国に広まっていきました。1979年(春~夏)には小中学生の間で日本中に知れ渡り、今では昭和を代表する都市伝説といわれています。
<全国各地の違い>
地域によっては、口裂け女の姉妹が出没しているという噂があったり、口裂け女が持っている刃物が具体的だったりしたところもあります。その特徴を見てみましょう。
★身長はさまざまな中には2mを超えるという話だったところも。
★赤いハイヒールを履いている。
★ツゲの櫛を持っている。(岡山県岡山市)
★赤い傘をさしている。(江戸川区)
★うす汚い格好をしている。(東京都多摩川)
★着物姿でサングラスをかけている。(国分寺市・八王子)
★「三」がつく地域、三宮や三軒茶屋などに現れる。
<口裂け女の由来>
そもそも、なぜこんな話が広まったのか…。当時推測されたのは、以下のような内容でした。
★子どもが寄り道をせずに家に帰ってくるように、親たちが怖い話を作りあげた。(岐阜県)
★金銭的に子どもを塾に行かせることができない家庭の親が、子どもに塾に行くことを諦めさせるために怖い話を作り上げた。(岐阜県)
★精神病院から女が脱走し、口紅で顔下半分を塗りたくっていた。(愛知県)
など、岐阜県周辺が発祥地であることが有力ですが、はっきりした出所はわかっていません。
<社会問題化>
この口裂け女の話が広まるにつれ、あちらこちらでさまざまな騒動が起きました。たとえば、福島県郡山市や神奈川県平塚市ではパトカーが出動したり、埼玉県新座市や北海道釧路市では集団下校が行われたりしたそうです。
中でも口裂け女を真似するいたずら騒ぎで、1979年6月に姫路市では逮捕者が出るほど。25歳の女が包丁を持ち口裂け女の格好でうろついたため、銃刀法違反容疑で逮捕されるなど騒ぎはピークに達しましたが、その後同年8月には夏休みに入ったことで噂がストップし急速に鎮静化しました。
<対処法>
★3回「ポマード」と唱えるとひるむ。
口裂け女の整形手術を担当した医師がポマードをつけており、それが嫌いだったためといわれています。
★べっこう飴を投げつけるとひるむ。
口裂け女はべっこう飴がきらいという話が関東地方で広まりました。
<その後>
1990年以降、整形手術のミスが原因であるという噂が再び広まったことがあり、また2001年には、韓国にまでこの話が伝わったことがわかっています。
【まとめ】
1970年代に子どもだった私の心を、ときにはわくわく、ときにはドキドキさせてくれた昭和のオカルト話。「本当のところはどうなったのか」わからないままいつの間にか話題にすることもなくなっていきましたが、当時は夢中で友達と語り合ったことを思い出しました。
日本だけでなく世界を興奮させるまでに至ったオカルト話は、アナログ時代だったからこそ、謎めいた伝説としてこれほどまでに私たちの興味を引きつけることができたのでしょう。
コンピュータ解析や化学分析などにより真実が明確になる今の時代、謎めいた話が流行ることは少なくなりましたが、ロマンを与えてくれるオカルト話が全くなくなってしまうのはなんともいえず寂しい気がします。
人類が滅びずに済んだ今、また新しいオカルト話でドキドキしてみたい…とちょっと期待している今日このごろです。
昭和のオカルトについては、こちらの記事にも情報が書いてあります。