懐かしいクイズ・ゲーム番組!昭和世代が興奮した視聴者参加型人気テレビまとめ

昭和の懐かしいクイズ番組には、視聴者参加のものがたくさんありましたね。
みなさんも子どもの頃にご家族で見たことがあるのではないでしょうか?
名クイズに名司会あり!俳優さんやお笑いの人気者がクイズ番組という新しい分野にどんどん進出し、人気を博しましたね。
名物コーナーや忘れられないエピソードなど、昭和の人気クイズ番組にまつわる情報をまとめました。
ひとときのタイムトリップをお楽しみください!
昭和のギャグが懐かしい!次の記事に詳しく書いてあります。
>>>ウケ過ぎた昭和の国民的ギャグ10選!~懐かしい笑い再び!~
アメリカ横断ウルトラクイズ
「知力。体力、ときの運」の熾烈な戦い

引用:https://goo.gl/E7vA7C
昭和に放送されていたテレビの桁違いなクイズ番組として筆頭に挙げられるのが、日本テレビ系列で放送されていた「アメリカ横断ウルトラクイズ」です。
昭和52年(1977年)の第1回から平成10年の第17回まで長きに渡り夏の風物詩として愛された番組。秋に放送される4~5週もの「ウルトラクイズ」週間で、秋と冬の訪れを感じた人も多かったのではないでしょうか?
クイズ自慢の一般参加者は、初期には後楽園球場(のちには東京ドーム)に集合し、さまざまなクイズを挑戦し、最終地のニューヨークを目指してアメリカ横断しながら次々と名勝負を繰り広げていきましたね。
ファーストクエスチョンは、自由の女神に関するもの!答えは誰に聞いても調べても良いのですが、誰もが悩む難問になるよう工夫されていました。SNSのある現在だったら、たちまち答えが拡散されてしまうかもしれませんが、当時はみな公衆電話で家族に調べてもらったりしていましたね。
それもそのはず。「ウルトラクイズ」はほぼ勝ち抜けがデフォルト。いくら海外でも負けたら日本への強制送還なのです。
アメリカ横断ではありますが、ときおりヨーロッパや南米、カナダ、オーストラリアなど、回ごとに経由地が変わることもありました。
名物司会者は福留功男アナウンサー

出典:https://goo.gl/E7vA7C
「ニューヨークへ行きたいかー!」とマイク一本で1万人以上のドームの参加者に向かって雄叫びをあげる名物司会者は、福留功男アナウンサー。
出場者の個性を見つけてニックネームをつけたり、番組としてスポットを当てて視聴者に応援してもらいやすいように演出する技術は、さすが言葉のプロです!
カメラに写っていない間はかなりの暴君とも伝えられますが、それでもあの留さんスマイルをウルトラで見られるだけで、ウルトラファンはしあわせに感じたものです。
15、16回は福澤朗アナ、スタジオでの総合司会は、高島忠夫さんと石川牧子アナ。第15回は小倉淳さんと永井美奈子アナ。敗者の味方は、徳光和夫アナ、11回からはタレントの渡辺正行さんに。
印象的なスタートレックのテーマ曲
テーマ曲は映画スタートレックから「Theme from Star Trek」。ほかにもさまざまな印象的なBGMがありました。
第6回には後楽園球場前で浴衣姿の福留さんが「テーマ曲ができあがりました」と歌い出したのは、「東京音頭」の節と踊りの「ウルトラクイズ音頭」でした。なかなかの美声でした。
いろいろな名物クイズ

出典:https://goo.gl/p7063u
「ウルトラクイズ」にはさまざまな名物クイズがありました。たとえば、恒例なのは成田空港(番組開始当時は、羽田空港)での「じゃんけんクイズ」、海外脱出後の「機内ペーパーテスト」、ハワイやグアムでの「どろんこクイズ」。
この辺りは、まだ大勢の出場者と一緒のお祭り騒ぎとして楽しめるものですが、やがて少数精鋭になってくると熾烈な争いに変わっていくのでした。
歴史に残る名勝負と賞品は?

出典:https://goo.gl/5lK9Qs
ウルトラファンにとってはそれぞれの回に思い入れがありますが、中でも平成1年の第13回のアメリカ・ボルチモアの4人の「通せんぼクイズ」は今でも語り草となっています。
1時間強の壮絶な戦いのため、用意していた1万問の問題が足らなくなって、急遽現場で問題を作りたしたほど!
裏話では、当初の番組は「社会人を中心にしたクイズ旅行」を想定したもののこの13回の決戦で明らかになった「クイズ研究会」出身出演者の多さに、「ウルトラクイズ」の限界を痛感したという裏話もあったのだとか。
ともかくこうして平成10年の「今世紀最後」以後19年、「ウルトラクイズ」は復活せずに終わりました。
ダイビングクイズ
風船プールへまっ逆さま!スリルの名物番組

出典:http://nogatabouzu.blog31.fc2.com/blog-entry-26.html
一般解答者が大きな滑り台に座り、間違えると滑り台がだんだんとせり上がり、最終的に風船プールに落ちてしまう!というシステム。
知力だけでなく落ちないようにする体力も必要な、スリルと笑いのクイズ番組が「ダイビングウイズ」でした。
昭和39年からは水曜日の昼間、以後は日曜日の午後に放送され、昭和49年までの10年間に渡りお茶の間の人気番組です。
のちにはとんねるずもリスペクト

出典:http://www.dailymotion.com/video/x3qvmes
司会は喜劇俳優の千葉信男さんから漫才の岩井はんじ・けんじ、人気絶頂のジェリー藤尾さんも担当していました。
番組を楽しんでいた世代のとんねるずの番組でのちにリスペクトされ、「とんねるずのみなさんのおかげです」でよみがえったことがあります。
目方でドーン!
重さを当てるハラハラの買い物ゲーム

出典:http://ameblo.jp/kurume-reboot-kumamon/entry-12161771559.html
昭和50年から昭和57年まで日本テレビ系列で放送されたバラエティで、一般人の夫婦3組が出場。
大きなてんびんのゴンドラの片方に座った妻の体重に釣り合うように、もう片方のゴンドラにどんどん好きな商品を積み上げていくゲームです。
体重が一致したら「ピタリ賞」、誤差の範囲内で賞品をもらえました。
レツゴー3匹の司会が人気に

出典:http://www.oricon.co.jp/news/2037276/photo/1/
司会は、当時大人気だったレツゴー3匹。
レツゴーじゅんの「不思議な国のアリス様、どうぞ願いを叶えてね」のおまじないのあと、3人そろって「泣いて帰るか笑って帰るか、目方でドーン!」の合言葉でゲームがはじまりました。
クイズタイムショック
司会はハンサム俳優・田宮二郎と山口崇

出典:http://indoorffm.hatenadiary.jp/entry/2016/04/12/220000
歴代のクイズ王がよく出場されていた「クイズタイムショック」。
昭和44年のスタート時には映画俳優の田宮二郎さん、昭和53年10月からは2代目の山口崇さんが司会を担当しました。
どちらもスマートでハンサムな俳優さんで、弁舌さわやかな司会は番組のグレードをさらにアップしてくれました。
「現代は時間との戦い」1分間で100万円

出典:https://www.youtube.com/watch?v=aV3erI9pZhE
「タイムイズマネー1分間で100万円のチャンスです。果たして超人的なあなたはこの1分間をどのようにして活かすか、クイズ・タイムショック!」のスマートな決め台詞が実にかっこよかったですね。
ちなみに、その後生島ヒロシさん時代、中山秀征さん時代もありましたが、それぞれにこのセリフは少しずつ変化していました。
アップダウンクイズ
昭和38年夢のハワイ旅行を商品に放送開始

出典:http://monokoto.jugem.jp/?eid=3420
ハワイ旅行がまだ庶民の高嶺の花だった昭和38年にロート製薬一社提供ではじまった「アップダウンクイズ」は、放送時間も日曜日のゴールデンタイムということで、当時のクイズ自慢の人々の人気番組でした。
家族みんなで見た思い出深い番組だったという方も多いのではないでしょうか?
新旧3人の司会者のご紹介

出典:http://furekura.seesaa.net/category/21181515-1.html
長く司会を務めたのは、小池清アナウンサー。先ごろお亡くなりになったというニュースがありました。
その前の昭和38年スタート時には喜劇俳優の「ぶーちゃん」でおなじみだった市村俊幸さんと小池清アナの出題でしたが、昭和58年のリニューアルまで長く小池清アナが務めました。なので、「アップダウンクイズ」といえば、メガネでやさしい印象の小池アナが思い浮かぶ人が多いかも。
3代目の西郷輝彦さんは、番組終了時に「小池清さんに敬意を評します」とメッセージを述べたのだとか。
パネルクイズ アタック25
日本のクイズ番組司会者史上最高の37年

出典:http://blogs.yahoo.co.jp/toyorini/28216103.html
日曜の昼下がりにクイズ自慢の参加者が知能と運を競った「パネルクイズアタック25」。
読書家で知的な俳優の児玉清さんが昭和50年から平成21年(’2009年)まで司会を続け、単独の司会者として37年も同じクイズ番組を担当したとして史上最長の記録を持つクイズ番組です。
2代目の瀬川泰幸アナウンサーから3代目の俳優・谷原章介さんに司会はバトンタッチしましたが、今でも続く人気番組です。
当初から日曜日の午後放送と、放送時間にあまり変動はありません。
オセロゲームの要領で陣地を広げていく
「パネルクイズアタック25」は普通の「早押し」や「勝ち抜き」などのクイズ番組と違うのは、「オセロゲーム」のようにパネルをひっくり返していくところです。
クイズの回答率が高くても、結果パネルをひっくり返されて負けてしまった挑戦者が過去にいかに多かったことか……。
最終問題ではそのパネルの枚数によって見える画像の広さが異なり、ちょうど見たい画像がパネルで隠されて答えられなかったりと、パネルの獲得数と位置関係も勝敗の運命は分かれるところが特徴的です。
クイズ100人に聞きました
日曜昼放送の「家族対抗クイズ合戦」が原型

出典:http://ameblo.jp/megomegoco/entry-10750200047.html
今や「クイズ100人に聞きました」で知名度が高いこの番組は、前身が日曜日の午後にあった「家族対抗クイズ合戦」だったことをご存じない方も多いのでは?
5人の家族や知人のグループがそろって出場し、アンケートを元に作ったそれぞれの問題に対し、ランキングに入っていそうな「誰もが考えそうな」答えをひらめくのが勝利のポイントでした。
独特な関口宏の司会スタイルが話題に

出典:https://www.youtube.com/watch?v=tlIG3rCoymI
司会だった俳優の関口宏さんは、今やいろいろな司会業をされていますが、そもそも司会をはじめたのは「家族対抗~」から。
欧米の司会者のようなスマートさを取り入れており、解答者の目の前で話をしながら司会をするという独特のスタイルでした。かっこよかったですね。
昭和のクイズには視聴者参加番組が多かった
いかがでしたか?
子どもの頃に家族と一緒に見た番組ばかりで、懐かしかったのではないでしょうか?
筆者の家族団らんの席でも、回答が当たった父親が「お父さんはすごいだろう?」の自慢に、子ども心にお父さんを尊敬するシーンなど、家族の思い出もプラスされて記憶されていました。
テレビを見る人が減っているという昨今、昔のような視聴者参加のクイズ番組をどんどん放送したら良いのにと思います。
楽しんでいただけたら幸いです!
天才・たけしの元気が出るテレビ、ねるとん紅鯨団などの昭和のテレビ番組については、こちらの記事でご紹介しています。