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昭和の給食懐かしい!”リッチパン”がメチャクチャ美味しかった!

筆者にとって給食の思い出として一番最初に出てくるものはリッチパンというパンが美味しかったという事。いつも出て来る給食のパンとは明らかにちがうんです。記憶に残る美味しいリッチパンを始め、給食全般について覚えている事をまとめてみました。

 

どの献立が好きでしたか?昭和の学校給食の記事については次に書いてあります。

>>>あぁ、懐かしき昭和の学校給食。No.1はやっぱりあれ!

 

昭和の給食はどんな感じだった?

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1467884159


筆者はどこにでもあるような小学校に通っていました。特に特別な事はない学校だったと思います。なので、きっと給食もいたって一般的なものが出てきていたんじゃないかと思っています。

給食の食器はアルミの物が使われていました。とても軽い素材で割れたりもしないので長く使えるものだと思います。

給食当番というのが決まっていて、順番に回ってきます。給食当番は、給食の時間になると給食室までみんなの給食を取りに行きます。

ワゴンに置かれた自分のクラスの給食を取りにいって、みんなの分の給食をよそいます。

好きな子にちょっぴりサービスしたりするのは”あるある”ですよね。

給食係は給食袋に入った給食着を着て配膳します。給食当番が終わる時に給食袋を家で洗って学校に持ってくるのをよく忘れてました。給食袋の紐の部分を持って蹴ったりしながら帰宅してました。

 

クラスの中で風邪等で学校を休む人がいたら、牛乳やデザートなどが余ったりします。それをみんなでジャンケンして勝った人が食べるというルールでやっていました。

パンはその日の連絡事項と一緒に家が近い人が届けに行っていたように思います。

当時は連絡網というものがあり、クラスメンバーの電話番号はクラス内で公開されていました。

 

子供なので、食べ物に対して好き嫌いが激しい子も少なくなく、時には泣きながら食べてる子もいました。

早く給食を食べ終わるとその分休憩時間が長くなるので、すぐ食べて外に遊びにいくというのが恒例になっていました。

食べるのが遅い子や、嫌いな物をなかなか食べられない子は掃除の時間になっても食べさせられていました。

 

筆者はお腹が弱かったので、いつも牛乳を飲んではお腹がゆるくなってしまっていたのを覚えています。

牛乳が大嫌いだったのですが、しょうがなく飲んでいました。嫌いな物を飲んでしかもお腹が痛くなるというのを日々繰り返していました。

今でも息をしながら牛乳を飲む事は出来ません。当時のように、息を止めて鼻から匂いを嗅がないようにしながら飲めばなんとか飲めるという感じです。

 

給食はイベントによっても内容が変わっていました。例えば、クリスマスの時はケーキがあったり節分の時は豆がついていました。

給食にイベントを反映させる事によって季節感を感じる事が出来る。これはいい試みですよね。

 

給食の普通のパンより美味しい”リッチパン”

http://onibasunosato.daa.jp/log/eid2141.html


筆者にとって楽しみだったのがリッチパンの存在です。通常時の給食のパンは、毎日のように食べるのでジャムでもない限り正直食べ飽きちゃうんですよね。

リッチパンは見た目はほとんどいつもの給食のパンなのですが、明らかに味が美味しいんです。

給食って献立が事前に発表されていて分かるようになっているんです。なので、美味しそうな献立の日は給食の前から楽しみでした。

育ち盛りの時期なので4時間目が終わる頃には腹ペコになってるんですよね。

好物の物やリッチパンがある日はいつも以上に給食が楽しみで仕方ありませんでした。

 

こんな献立あったなぁ

覚えてる範囲で”こんな献立あったなぁ”という献立を挙げていきます。

レバーを揚げたようなもの

当時、レバーはあまり好きじゃなかったのですが、これは食べる事が出来ました。レバーじゃなかったらもっといいのになぁ。。と思っていました。

プロセスチーズ

チーズが大嫌いだったので、正直これは食べられませんでした。こっそり友達にあげてました。今はちょっとずつチーズ自体は食べられるようになってきたのですが、プロセスチーズはまだ挑戦してません。

シャバシャバのカレー

筆者が小学生になってすぐの頃はパンが毎回出ていたのですが、高学年になるにつれてパンの代わりにご飯が出てくるようになってきました。パンが出ていた時にはちょうどよかったのですが、ご飯に合わせるにはシャバシャバすぎるカレーが気になっていました。でも、美味しかったのを覚えています。

色の濃い納豆

色が濃い納豆が出ていたのも覚えています。記憶が確かなら、ネギか何かとあえている状態で出てたと思います。当時、納豆が嫌いだったので苦痛でした。

 

便利な食器”先割れスプーン”

http://enjoy.sso.biglobe.ne.jp/archives/kyushoku/


給食の食器といえば先割れスプーンですね。ご飯が給食で出るようになってからは箸が用意されていた記憶もあるのですが、やはり特殊な食器として印象深いのが先割れスプーンです。

スプーンの先が三叉のようになっていてフォークのようにも使えるんですよね。かなり便利だと思います。

 

小さかった自分を大きくしてくれた給食

小さかった子供の頃、6年間食べ続けた給食が体を大きく、強くしてくれたと思います。集中して勉強をするには栄養のバランスのいい食事も大切だと思います。

もちろん、家でもバランスを考えて母親が料理を作ってくれましたが、給食の存在は大きかったと思います。

家では出ないような献立が出るので、学校に行く1つの楽しみでありモチベーションに繋がっていました。

筆者はあまり学校が好きな方ではなかったのですが、給食はいつも楽しみにしていました。

たくさん栄養のあるものを食べ、たくさん遊び体を動かす。もちろん勉強もする。それが子供の時の主なやるべき事だったと思います。

授業は5、6時間目まである日も多かったので給食は非常に重要でした。

 

毎日美味しい給食を作ってくれていた給食のおばちゃん達に今更ながら感謝の気持ちが沸き上がってきました。

当時は、そんなに給食のおばちゃんと関わる事もなかったしあまりそこまで考えた事がなかったです。

毎日、給食のおばちゃんが手作りしてくれた物を食べさせてもらっていたと思うとなんだか心が温まります。

給食費を払わない人がいるという問題が少し前に話題になりましたが、しっかり給食を作ってくれるおばちゃん達、毎日勉強を頑張る子供達の為にも給食費は払ってほしいですね。

昭和の給食を振り返る事によって、新たに感じる事がありました。

 

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