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昭和の懐かしいバンド~解散してしまったあの人達~

昭和のバンドといえばグループ・サウンズやロック、歌謡曲ブームの時代など、いつの頃も音楽シーンには欠かせない存在です。ソロにはない迫力や個性が光り、昭和のバンドからさらに好みの音楽ジャンルを広げていった人もいるでしょう。

子供の頃から活躍しているバンドだけでなく、残念ながらすでに解散してしまったバンドも数多く存在しています。そのなかからちょっとレアなバンドを集めてみましたので、ぜひ昔を振り返ってみましょう。

 

昭和のフォークソングについては、こちらの記事を読んでみてくださいね!
>>>昭和のフォークソングは懐かしく優しく心に残る

 

ザ・テンプターズ

出典:http://music-calendar.jp/img/files/201710/1025/OMC20171025-1.jpg

外国にも似たような名前のグループが…と思った人もいるでしょう。このバンドが結成された1967年は世界的にグループやバンドがさかんに音楽活動をしていた時代。ザ・テンプターズは「忘れ得ぬ君」という曲でデビューして、トップ10にランクインした曲が5曲あります。

同じ時代に大ブレイクしたグループ・サウンズのザ・タイガーズと一緒に最盛期を盛り上げたバンドで、1970年に残念ながら短い活動期間を得て解散してしまいました。このバンド名を聴いてもピンと来ない人は多いかもしれませんが、バンドメンバーでボーカルだった萩原健一、通称ショーケンの名を聞けばきっとわかるでしょう。

バンドは最初ボーカルは女性だったのですが、その女性がある日体調を崩して参加するはずのパーティに出れず、急きょその場で指名されてボーカルの代わりをやったショーケンが、ボーカルとして参加することになったという面白いエピソードが残っています。

 

はっぴいえんど

出典:https://dot.asahi.com/S2000/upload/2014120400061_1.jpg

この昭和のバンド活動は1969年~1972年までの3年間。ロック系のバンドで細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂。こんなアーチストが集まっていたバンドがあったの?と驚きの人も多いのではないでしょうか。

作詞担当だった松本隆が日本語ロックという世界を構築して結成されたバンド。当時はサブカルチャー的な存在ではありましたが、90年以降に再び注目されて渋谷系をメインにJ-POPの音楽性を揺らがすほどの影響を与えました。

どのメンバーもとても才能があり、みんな集まったら一体どんな話がされていたのだろうとちょっと気になりますよね。メンバーの大瀧と細野はロックに日本語の歌詞を付けることに抵抗を感じ、音楽性を重視する二人は楽曲のアイデアに反対することがあったといわれています。

 

オックス

出典:https://i.ytimg.com/vi/26jDu0neuXk/hqdefault.jpg

英語で雄牛を意味するオックスというバンドは、昭和43年にデビューしたグループ・サウンズ。バンドの名前の由来となったのはリーダーの福井利男がランジェリーメーカーのシルバーオックスからヒントを得たといわれています。

活動は1968年~1971年までの3年間。メンバーでオルガンを担当していた田浦幸はソロで夏夕介としてデビュー。歌手と俳優業を同時に行いバンド解散後は完全に俳優業に専念しています。

デビューの際のエピソードとして、リーダーの福井とメンバーの岩田は年齢詐称したとのこと。活動期間が短かったのできっとバレずに済んだかもしれませんね。ジャズ喫茶でのライブではステージ上から激しく動いて放心状態になり倒れこむという過激なパフォーマンスがアルド、かなりインパクトが強いバンドでした。

 

乱魔堂

出典:https://img.discogs.com/NxFpnjXnc5DorP4xOFNTBRl_b_I=/fit-in/300×300/filters:strip_icc():format(jpeg):mode_rgb():quality(40)/discogs-images/R-3237544-1505677496-5294.jpeg.jpg

ちょっと不思議な名前の昭和バンド結成は、1972年で解散は翌年の1973年。たった1年だけの活動でしたが、はっきりと記憶に残っているファンも多く存在します。

元ブラインド・レモン・ジェファーソンのメンバーだったボーカルの松吉、ギターの洪栄龍、ベースの猿山幸夫、そしてドラムの矢島、キーボードの上村など音楽にこだわりを持つ人たちが集まって結成されたバンドです。当時同じ時期に活動していた細野晴臣や松本隆からも強い影響を受け、個性的なロックを披露してくれました。

 

ピピ&コット

出典:https://e.snmc.io/lk/f/a/efcb0b39c57ff997abdb1ae0f2d97d70/4748441.jpg

ネーミングがとても可愛い昭和のフォークバンドで、魅力は素敵なハーモニーとメロディライン。1960年末から1970年代のはじめまで活動をしていました。バンド名の名づけ親は佐藤公彦、ドイツ語で汚物を意味する言葉らしいのですが、名前の響きだけはとてもキュートですよね。メンバーの佐藤と金谷が本番になると、トイレが近くなるということから名前が付いたともいわれています。

アマチュア時代にはRCサクセションや泉谷しげるらと活動を共にしたこともあり、エレックレコード主催の唄の市コンサートで熱くパフォーマンスをしてくれました。

バンドのリーダー、金谷厚は2006年にフォーク酒場を大田区でオープンするなど、音楽とともに活躍されています。女性メンバーの吉田佳子はバンドの解散後はソロ活動を開始して一時期活動停止したこともありましたが、1999年より活動を再開しています。

 

シュガー・ベイブ

出典:https://blog-imgs-45.fc2.com/e/h/o/ehonkuruma/101021_3.gif

この昭和のバンド活動は1973年~1976年。バンド名を聴いてもなんとなくしかわからない人、このバンドのボーカルが山下達郎だといえば、バンドのすごさがきっと伝わるでしょう。

自主制作盤の「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」のメンバーで結成されたインディーズ・バンドとして活動をスタート。コーラス・ワークに重点を置いて音の響きの美しさをアピールしたことが魅力。

とても質の高い昭和バンドでしたが、昭和歌謡やロックとは違った存在だったためこのバンドはアンダーグラウンド的に活動をしていました。

解散は1976年、しかしメンバーの山下達郎のその後の活躍によりこのバンドはシティ・ポップの象徴的な存在に。日本の音楽史のなかでも忘れてはいけない大切なバンドなのです。

 

TALIZMAN

出典:https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/000/915/94/N000/000/000/117725283726016311104.jpg

このバンドの活動期間は1979年~1983年。74年に母体になるクロニクルというバンドが結成されてそこに新しいメンバーがプラスされて結成。

1980年に2タイトルのシングルを同時に発表して、ウルトラマン80の主題歌なども手掛けています。リーダの木村昇が脱退して残ったメンバーは、タケカワユキヒデのソロ時代のバックバンドとして活躍した時期もあります。

 

昭和のバンドはリアルタイムで見たかった!

昭和バンドですでに解散している人達、とても見たくなりませんか。今の時代みたいにメディアが充実していない昭和。バンドの演奏はライブ感たっぷりで、それぞれの音楽性が聞いている人にもしっかり伝ったことでしょうね。

 

昭和のラジオパーソナリティについては、こちらの記事を読んでみてくださいね。
>>>昭和のラジオ番組が懐かしい!ラジオパーソナリティといえばこの人!

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