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昭和のプロ野球で活躍した外国人プレーヤーたちは今どこへ?

昭和のプロ野球といえばお茶の間の最高のエンターテイメント。家族が揃って野球中継を見ながらお父さんは枝豆とビール。そんな風景は日本のあちこちで見られた時代ですが、最近では日本のプロ野球人気が減ってしまい、優秀な選手たちは、どんどんメジャーリーグに行ってしまいますよね。

昭和のプロ野球には、歴史に残る王選手や長嶋選手など数々の日本人プレーヤーがいますが、忘れてはいけないのが外国からやってきた助っ人たち。

豪快なバッティングや足の速さにはさすが!とため息をついたこともあるでしょう。では昭和のプロ野球で活躍した、外国人選手について振り返ってみましょう。

 

巨人の星については、こちらの記事に書いてあります。
>>>昭和のスポ魂「巨人の星」でプロ野球選手を目指した人も多かった

 

ジョン・シピン

出典:http://www.mooneyes.co.jp/wildman/wp-content/uploads/2010/07/0730-4-164×190.jpg

子供の頃大ファンだったシピン選手。巨人軍というイメージがとても強かったのですが、最初シピン選手は当時の大洋に入団していたんですね。

1946年生まれのシピンはアメリカのカリフォルニア州生まれ。72年に初めて来日した時はなんとキャンプ直前。ヒッピーみたいなロン毛とファッションで、なぜか釣竿を持ってやってきたというエピソードがあります。

オシャレに関してはとてもこだわりがあり、球場入りする時はサイケなファッションでやってくるなど日本の野球児からはきっと想像できなかったでしょうね。

とても奔放な性格で投手を殴って退場させられたことも。77年に巨人に移籍して長嶋選手のことは「ミスター・ナガシマ」といつも尊敬していたようです。

野球を引退してからはカリフォルニアで高級別荘地のセールスマンをやったり、バッティングセンターを経営するなどビジネスマンとして頑張っています。

 

ウォーレン・クロマティ

出典:https://image.middle-edge.jp/medium/ff63cb52-c527-47f2-842e-66813affc3b2.jpg?1469505974

バラエティ番組に出演することもあり可愛い笑顔が人気のクロマティ。1983年に読売ジャイアンツに移籍して84年には35本塁打をマークするほど日本の野球界では助っ人以上の大切な存在でした。

88年の開幕戦では東京ドームの第1号ホームランを打ったのもクロマティ選手。バッティングフォームは独特なクラウチングスタイルと呼ばれるスタイルが特徴で、豪快な振り方をテレビで見たのはつい昨日のような出来事です。

いつもガムを噛みながら、愛くるしい表情でとてもひょうきんなイメージがありましたね。ファンとも距離が近く巨人ファンなら「バンザイコール」がとても懐かしいのではないでしょうか。

1986年の神宮球場のヤクルト戦でクロマティ選手が頭に死球を受けて病院に運ばれるというアクシデントがありました。その翌日にはなんとベンチ入りをして、代打満塁ホームランを打つというドラマチックな展開がすごかったですね。

引退後はスポーツ販売会社に勤務しているという話がありますが、あんなに楽しそうな人が同じ職場にいたら飽きないでしょうね。

 

ランディ・バース

出典:https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2015/05/23/e/7a/e7a9397a-sl.jpeg

1954年生まれのオクラホマ州出身のランディ・バース選手は、昭和のプロ野球を飾る優秀な外国人選手の一人として多くの人が記憶に残っていると思います。

1983年に来日して阪神に入団。この年のシーズンの後半では25試合連続安打を記録して、2001年に桧山進次郎に更新されるまで球団記録として残っていました。

阪神ファンからは絶大な人気がある外国人選手ですが、1988年に水頭症を患った長男の医療費に関することで球団ともめごとになりシーズン途中で解雇されてしまいます。その後出版された自叙伝「バースの日記」内でもこのときのことが詳しく書かれてあります。

アメリカに帰国してからは牧場経営をしながら日本にはイベント出演のためにたびたび来日しています。2008年の阪神中日戦では始球式を行い、テレビ解説もやっています。

バース選手は2001年からはなんと政治家になり地元オクラホマ州議会上院議員を務めているという大変マルチな人。阪神のユニフォームからスーツに変わった様子はぜひ見てみたいですね。

 

ハル・ブリーデン

出典:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/1b/2b5af67c707b05ad5e20eb7c13639ff5.jpg

1944年ジョージア州生まれのハル・ブリーデン選手は1976年に来日。アメリカでは現在のワシントン・ナショナルズで活躍して、日本では3年間阪神タイガースでプレーしています。

このころの阪神といえば掛布選手、田淵選手、ラインバック選手ととても昭和のプロ野球が盛り上がっていた時代。ブリーデン選手は年間最多本塁打のリーグ記録40本をこの年に達成しています。

けがの治療で1978年にアメリカに帰国。まだまだプレーできると再来日を楽しむファンも声もたくさんあったのですが、結局治療が長引いて日本のプロ野球でお目にかかることはなくなってしまいました。

アメリカに帰国してからは地元の保安官やアマチュア野球の指導者を務めていたようです。現在は70代、どのような老後を過ごされているのでしょうか。

 

ブーマー・ウェルズ

出典:http://sp.buffaloes.co.jp/_pl_img/old/news/img/12/120507_32.jpg

1954年アメリカアラバマ州出身。大学時代はフットボール選手を目指しいましたが、念願のNFL選手にはなれませんでした。1982年にミネソタツインズより83年に阪急ブレーブスに入団。

来日する前に色々と集めた日本のプロ野球界について信じられないような話ばかりで、実際に日本でプレーを始めてからそれがすべて本当だったと驚いたというエピソードがあります。

川崎球場で試合前の練習をしているときに、本番の試合はどこでプレーするのか不思議に思っていたところ、観客が続々と集まり、そこがプロ野球の球場であることにとてもショックを受けたようです。

ブーマーの場外ホームランが近所の民家に飛び込んで金魚鉢が割れた、テレビでブーマーが連発する本塁打を見てお年寄りが心臓発作を起こしたなど前代未聞のエピソードも数々残されています。

日本では湿布薬のバスタイムのTVCMに出演したことがあるので、昭和のプロ野球を知らない人も多分見たことがある選手だと思います。

 

昭和のプロ野球を飾ってくれた外国人選手たちはみんな最強!

昭和はテレビが一家に1台なんてことが当たり前だったので、家族が集合してプロ野球を見ることがよくありました。日本人選手とはちょっとパワーが違う外国人選手たち。豪快なフォームは当時とてもワクワクしながらテレビの前で釘付けになっていた記憶があります。

外国人選手のパワーに圧倒されていた昭和ですが、今では日本人選手の技術に、きっと本場アメリカでは昭和の日本人のように衝撃を受けているかもしれませんね。

 

昭和の東京オリンピックについては、こちらの記事を読んでみてくださいね。
>>>昭和の東京オリンピックがあった年は日本がとても熱かった!

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