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昭和のテレビ番組で「あの頃見ていたなぁ」と思う懐かしいもの

昭和のテレビ番組は楽しいものが多かったですが、同時に学べるようなものもありましたよね。その中でも懐かしさを感じるいくつかの昭和のテレビ番組をご紹介していきますので、「あったなぁ」と思っていただけると嬉しいです。

懐かしいクイズ・ゲームについての記事はこちらにも書いてあります。

>>>懐かしいクイズ・ゲーム番組!昭和世代が興奮した視聴者参加型人気テレビまとめ

連想ゲーム

出典:https://i.ytimg.com/vi/bBlHT7SHxLo/hqdefault.jpg


男女の解答者たちが白と紅の2チームに分かれて競い合う番組です。司会がいて、それぞれのチームのキャプテンがいます。そのキャプテンに答えが書かれたメモが渡されるので、キャプテンはメモを見ながらヒントを出していくもの。

司会から指名された解答者のいるチームのキャプテンから、ひとつヒントを出して解答者は考えながら答えを出します。

考えている間に5秒が経過したり、不正解だったりした場合はチャイムが鳴り相手チームに解答権利が移ります。10個目のヒントを出す時には、これが最後のものになり「これが最後のヒントです」とキャプテンが言うのもルール。

一般問題や3ヒントコーナー、勝ち抜きゲームやワンワンコーナーなど楽しい企画が盛りだくさん。その中でも一番記憶に残っているのが1分ゲームです。正解すると回答者がだるまを1個置くのですが、最後にはだるまをどちらのチームが多く取れたかで勝敗が決まるもの。

1分という時間制限があるので、とても緊張感がありました。でもだるまが並んでいくところが、子供心にとても楽しいと感じていたのを覚えています。

 

オールスター家族対抗歌合戦

出典:http://www.gmm-yasunori.com/yuta/image/7.jpg


芸能人や著名人の家族が5組出場をして、様々な曲を歌い競い合います。放送開始から1984年まで萩本欽一が司会を担当しました。一回戦ではそれぞれのチームが3曲ずつを歌います。結果で2チームが決勝に進出して最後には優勝争いに。

優勝が決まると、くす玉が割れて紙ふぶきと風船が降りてきます。風船を子供たちが持ち帰るのが定番でした。そして、海外旅行を獲得!

決勝進出できなかったチームにもハッスル賞、ユーモア賞、アットホーム賞がありました。全ての出場チームが何等かの賞をもらえるのが、見ていて安心感があったように思います。

この人の奥さんは美人なのねーと思ったり、息子さんと顔が似ているー!と感動していたり。本当に穏やかで温かい番組だったと思います。

 

お笑いマンガ道場

出典:https://pbs.twimg.com/media/CCXO9JQWMAAyPjx.jpg


司会は、番組開始から1977年まで桂米丸でした。その後にフリーアナウンサーの柏村武昭が担当。この番組で特に印象深いのがレギュラー解答者の存在でした。富永一朗は漫画家で、手の込んだ2コマ作品などを披露していました。

車だん吉もレギュラーで、本業はタレントでも画力がとても高かったです。後から富永一朗の勧めで雑誌の漫画連載を持つようになりました。

鈴木義司は漫画家で番組初期からのレギュラーメンバーです。蝶ネクタイがトレードマークでしたね。漫画の中では自分を大金持ちとして表現していましたが、富永一朗からは土管に住む極度の貧乏人として描かれていました。

ここで鈴木義司がとても嫌そうな表情をして、今後は富永一朗をパロディのようにして描いてやり返すような場面が楽しかったですね。

エバや秋ひとみは女性レギュラーとして華がありました。中でも魅力的だったのが川島なお美の存在です。3代目女性レギュラーとして長く担当しています。川島なお美の存在は、この番組には無くてはならないもののように思っていました。

番組自体は、漫画の楽しさを感じながらも即興でこんなに人を笑わせることが出来るのがすごい!と思い、かなり真剣に見ていたものです。

 

クイズダービー

出典:http://mounten-f.com/wp-content/uploads/2014/12/141217_3.jpg


司会は大橋巨泉でした。出場者が、正解すると思う解答者1人に自分の持ち点を賭けるのがルールです。競馬方式でもあったのですが誰が正解をするのか、これを予想するのが楽しかったのと、当たった出場者の表情が輝いていたのが印象的。

レギュラーに加えてゲスト解答者が出演したり、珍解答が楽しかったりする場面も。イメージとしては、はらたいらと竹下景子は頭が良いなぁ…というものでした。躍動感のある雰囲気の番組で、見ている人をワクワクさせることが出来たのは、大橋巨泉の司会がとても上手だったからでもあるでしょう。メロディが流れている間の大橋巨泉の司会も、番組を盛り上げるものでした。

自分もいつか出場者になってみたいなぁと思ったりしました。クイズダービーの盤ゲームがあり、友達の家で白熱しながら遊んだのを覚えています。

 

欽ちゃんのドンとやってみよう!

出典:https://image.middle-edge.jp/medium/d1705295-c34c-4fb7-81eb-ad17ea36466b.jpg?1488358517


元々は、ラジオ番組のヒットから企画を起こして、テレビ化されました。ここでのトライアル番組が「欽ちゃんのドンといってみよう!ドバドバ60分!」。

この番組は視聴率があまり良くなかったのですが、業界内では好評だったのでレギュラー化されました。初期の正式タイトルは「萩本欽一ショー・欽ちゃんのドンとやってみよう!」でした。

この後に、「欽ドン!」がスタートしました。この番組は視聴者からのハガキ投稿をメインにして、萩本欽一がアドリブを主体にした番組構成です。ハガキに対してはバカウケ、ややウケ、ドッチラケのランク付けがされていました。中でもバカウケは、当時の流行語にもなったのです。

「欽ドン!良い子悪い子普通の子」もありましたね。お母さんと子供の会話があり、父親役の萩本欽一とフツオ、ヨシオ、ワルオの会話が面白い番組でした。「欽ちゃんのドンとやってみよう!」が終了して再びラジオの世界に戻った萩本欽一が「欽ちゃんのここからトコトン!」の中で、はがき投稿コーナーを始めました。

ある日の放送で若手作家による台本の片隅に、その週のテーマとして書かれていた「良い子悪い子普通の子」の文字を見て、萩本欽一は「これだ!」と次の構想がひらめいたのです。これが「欽ドン!良い子悪い子普通の子」の番組へとつながりました。

 

痛快なりゆき番組 風雲!たけし城

出典:http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/v0001/thumbs/title-752.jpg


ビートたけしが城主を務める「たけし城」を落とすため、毎回100人の応募者から攻撃群を隊長である谷隼人が率いてスタジオに作られたゲームを攻略していきます。

隊長である谷隼人の存在も、とてもカッコ良くて光ってしましたね。そしてゲームを攻略しようとする出場者のアドリブ的な行動が、涙ぐましくもあり感動もありました。ボールをぶつけられて、ヨロヨロとなりながらも進んで行こうとする挑戦者の姿には、笑いもありましたが元気をもらいました。

とにかくセットが豪華だったのを覚えています。これには総工費が1億円かけられたそうです。もう一度見たい番組のひとつですね。

 

昭和のテレビ番組は朝から楽しみにしているものが多かった!

今日は「○○がある日!」と思うと、楽しみにしながら朝に学校に行っていたのを覚えています。今考えてみたら、自分のモチベーションアップになってくれていたことが、とてもありがたいなぁ…としみじみと思います。

 

・できるかな」
・おーい!はに丸
・にこにこぷん
などについては、こちらの記事をチェックしてみてくださいね!
>>>80年代の教育テレビは面白かった!夢中になったあのチャンネル!

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mayu

mayu

ライター歴8年です。
昭和だからこその魅力を少しでもお伝えできればいいなと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。

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