1. TOP
  2. テレビ番組
  3. 昭和30年代のヒット TV番組 懐かしすぎっ!

昭和30年代のヒット TV番組 懐かしすぎっ!

【昭和30年代の背景】

日本はアメリカに追いつけ追い越せと、三種の神器と云われた洗濯機、冷蔵庫とともに白黒テレビの普及がやっと始まったのでした。やがて高度成長期を迎えて昭和39年の東京オリンピックで、また東京ー大阪間での新幹線の開業があって、マスコミやラジオ・TVメディア番組も隆盛の一途でした。

 

【昭和30年代テレビの特長】

昭和30年代は、アメリカ製のTV番組がたくさん上映されていた。名犬リンチンチンやアニーよ銃をとれ、そしてローハイドなどが人気でした。おそらく当時はあのNHKでさえ放映設備や機材も不足で、ましてTV番組現場での制作ノウハウも少なかった。そんな時分に和製のTV番組のヒットが始まりました。それはアメリカTV番組の影響も受けながらではありました。

それでは昭和30年代、主に前半のヒットTV番組から和製の10番組をご覧ください
※なお記載の年は日本での放映開始年です。

 

昭和30年代のヒットTV番組については、こちらの記事にも書いてあります。

>>>昭和30年代のヒット TV番組Ⅱ 懐かしすぎっ!

 

1)ジェスチャー  |  昭和28年(1953年)

放送 NHK総合テレビ
出演 水の江滝子 柳家金語楼
司会 青木一雄 高橋圭三 小川宏など

出典:http://showa-love.jp/wp-content/uploads/2017/02/img_4-265×300.jpg

ジェスチャーとは、他の人に何かを伝えるためにする身振り手振りのことですね。NHKで放送されたテレビクイズ番組の走りで、なんと1968年までなんと13年続いた長寿人気番組となりました。

旧NHKホールから中継された30分のテレビ番組で、白組が柳屋語楼さん、赤組が元宝塚の水の江滝子さんがキャプテンでしたね。司会も小川宏さんの活躍は10年にもなりました。お題は視聴者からの提供で、最初は「私の仕事はなんでしょう」でした。これを紅白両軍が交互にジェスチャーで表現して、それを自軍が答えると勝ちになります。常連の出演では懐かしいところで、丹下キヨ子、轟夕起子、宮城千賀子、南田洋子、扇千景、淡路恵子、黒柳徹子、野川由美子ほかが、また男性陣では加東大介、多々良純、大阪志郎、有島一郎、トニー谷、フランキー堺、長門裕之、E・H・エリック、宇津井健、柳沢真一、桂米丸、井上ひろし、川崎敬三ほか一時代を築いた方たちでした。

 

2)私の秘密  |  昭和30年(1955年)

放送 NHK総合テレビ
出演 渡辺紳一郎 藤浦洸 藤原あき 塩月弥栄子など
司会 高橋圭三 八木治郎などなど

出典:http://showa-love.jp/wp-content/uploads/2017/02/img_5-300×134.jpg

アメリカのTV番組からのアイデアを踏襲したそうですが、NHK総合テレビの人気番組「ジェスチャー」とセットで放映されたときもありました。一般視聴者が登壇し、その趣味や特技をゲスト3~4人の回答者が当てるというクイズ番組でなんと1968年まで約13年にわたって放映されました。

この初期の司会が高橋圭三アナで、これが出世作となりました。その後紅白歌合戦を9年連続で担当し、その後日本初のフリーアナウンサーとなりました。

 

3)お笑い三人組  |  昭和31年(1956年)

放送 NHK総合テレビ
出演 三遊亭小金馬 一龍齋貞鳳 三代目江戸屋猫八、楠トシエ、音羽美子、桜京美

出典:http://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-9c-18/tiggogawa66/folder/1495163/85/53429585/img_0

主題歌の「アハハ ウフフ 三人元気に顔出して、ニコニコニッコリ笑ったら、心はいつでも青空だ♪ どこからどこまで青空だ♪ アハハ ウフフ エヘヘの オホホで アハハのハ 僕らはお笑い三人組」で始まり、NHKの公開テレビドラマとして放映されていました。

コメディドラマで落語の三遊亭小金馬、講談の一龍齋貞鳳、ものまねの江戸家猫八の3人を軸に、奥様三人組の楠トシエ、音羽美子、桜京美がレギュラー出演していました。

舞台は甘辛横丁とその店内である満腹ホール(ラーメン屋)などが舞台でした。柳沢真一、藤村有弘、三木のり平、由利徹、南利明、八波むと志さんたちがその都度ゲストとして出演していました。

 

4)赤胴鈴之助  |  昭和32年(1957年)

放送 ラジオ東京(TBSラジオ)、大阪テレビ放送(朝日放送)など
ラジオドラマの声 横田毅一郎 久保保夫 吉永小百合など
原作 竹内つなよし 福井英一
音楽 ラジオドラマ「赤胴鈴之助の歌」

出典:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51881bvHJlL.jpg

赤胴鈴之助は竹内つなよしと福井英一作の漫画が原作のラジオドラマから始まったテレビドラマやアニメでした。
北辰一刀流千葉周作道場の少年剣士であった赤胴鈴之助が主人公で、父の形見の赤胴をつけていました。得意技が「真空切り」という片手や両手の「手刀」(しゅとう)を使うものでした。今でも良く思い出すのはラジオ放送で聞こえてきた「赤胴鈴之助の歌」でした。

ラジオが1957年から、映画化が1957-1958年に梅若正二と中村玉緒、林成年出演で上映され、テレビドラマは1957年からで、このテレビキャラクター玩具は後の月光仮面や鉄腕アトムへと続いていきました。アニメはしばらく遅れて1972年からフジテレビ系列で放映されました。声の出演は山本圭子、小鳩くるみさんなどでした。

 

5)月光仮面  |  昭和33年(1958年)

月光仮面

出典:http://rakuonsya.com/goods_image/A6783_I1.jpg

放送 KRT(TBSテレビ)系
出演 大瀬康一
原作 川内康範
監督 船床定男
企画 宣弘社
主題歌 「月光仮面は誰でしょう」
(川内康範作詞・小川寛興作曲)

 主題歌「月光仮面は誰でしょう」(歌・近藤よし子&小鳩くるみ会)は昭和の子どもたちの全員が歌ったほどで、テレビ視聴率も東京で平均40%、最高67.8%でした。放映中は銭湯から子どもたちの姿が消えたのでした。レコードも10万枚のヒット、企画担当の宣弘社でも当初10分しかなかった放映時間を30分に拡大せざるを得ず手ごたえを感じて、子どもの集まるところに街頭テレビの増設をしたほどでした。子どもの人気とは別に、教育面から批判され1959年には放映が打ち切られました。

 

6)事件記者  |  昭和33年(1958年)

放送 NHK総合テレビ
出演 永井智雄 山田吾一 大森義夫 山本學 坪内美詠子など
脚本 島田一男

出典:http://blog-imgs-42.fc2.com/a/s/a/asanagi987/20101202165107d7b.jpg

なんと言っても、日本初のテレビサスペンスどらまでした。軽妙なテーマ音楽で始まる警視庁につめる社会部記者たちの、事件発生を追いかけてスクープ競争していく記者魂のようなものが犯人逮捕に向うハラハラ続きのテンポの良いドラマでした。出演俳優も目立ったスターはいなくて、地味でしたがこの後ブレイクしていきます。舞台は「警視庁桜田クラブ」と「居酒屋ひさご」で、記者たちのONOFF切り替えも良かったです。

1966年まで279話が放映されました。大体は前編と後編の2回に分けて放映されていましたから階数は399回です。

このドラマで新聞記者になりたいと思った方も多かったでしょう。あの今をときめく池上彰さんも、このドラマを小さいときに見てNHKの記者になったそうですね。

 

7)バス通り裏  |  昭和33年(1958年)

放送 NHK総合テレビ
出演 十朱幸代、岩下志麻、田中邦衛、米倉斉加年、小栗一也
作:筒井敬介、須藤出穂
音楽:作詞・筒井敬介 作曲・服部 正 歌・中原美紗緒、ダークダックス

出典:http://showa-love.jp/wp-content/uploads/2017/02/busdouriura-300×191.jpg

舞台は「バス通り裏」にある美容院と高校の先生をしている家庭の二つの家族の日常を描いた日本初のホームドラマでした。

放送は月曜から金曜までの19時15分から19時半まで毎日放映されました。出演した十朱幸代や岩下志麻はその後も大活躍の女優に育った若手の登竜門ともなりました。いずれもそんなに裕福ではない平均的な日本の風景でした。主題歌の「バス通り裏」もにんきでした。1958年から1963年まで全1395回放映されました。

 

8)スター千一夜  |  昭和34年(1959年)

放送 フジテレビ 放送回数は6417回
出演 島津貴子 山口百恵 長嶋茂雄 王貞治 ロザンナなど
司会 三木鮎郎、栗原玲児、土居まさる、石坂浩二など多数

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0e/Star_1001Night_Simadu_Takako_1960.jpg/240px-Star_1001Night_Simadu_Takako_1960.jpg

1981年9月25日の最終回では森繁久彌さんが自分の詩を朗読して番組の最後を飾りました。

放送期間22年7ヶ月は長いですが、保存されている映像は少なく、またVTRも無い時代でした。たた15分の放送時間でしたが。その後この放映記録はあのタモリの「笑っていいとも」に追い越されます。

このスター千一夜は、現代のワイドショーの始まりだったのかも知れませんが、明るい話題にばかり触れていると見られて、やがて番組も終了して、テレビのワイドショーはスターたちのゴシップネタが中心の現在に至ります。

 

9)おとなの漫画  |  昭和34年(1959年)

放送 1835回
脚本 青島幸男 永六輔 キノトール
出演 ハナ肇とクレージーキャッツ

出典:http://showa-love.jp/wp-content/uploads/2017/02/crazycats-300×223.jpg

放送のはじまりはクレージーキャッツの演奏から、その終わりはいつも植木等の「ちょうど時間となりました。ハァ~、こりゃシャクだった!」で終わっていました。
毎日朝の時事ネタからヒントを得て脚本にしたのがあの東京都知事であった青島幸男さんです。左の写真は数十年後に出演者が集まって特集編をやったもので、もちろん当時は白黒画面でした。

放送は毎日12時50分からの5分間のみに、その日の時事ネタからギャグや笑いと落ちまでを毎日盛り込んでいったのは見事でしたね。

ゲスト常連には坂本九も良く出ていたと記憶しています。

 

10)ザ・ヒット・パレード  |  昭和34年(1959年)

放送 フジテレビ
企画 渡辺晋
演出 椙山(すぎやま)浩一
音楽 「ザ・ヒットパレード」
(作曲:すぎやまこういち)
出演 ザ・ピーナッツ スマイリー小原とスカイライナーズ
司会 ミッキー・カーチス 芳村真理から

ザ・ヒットパレード

出典:http://j0625.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_eb6/j0625/3-566a2.JPG

ザ・ヒットパレード、当時は映像録画機器も貧弱で、TV画像がほとんど残っていないと聞きました。当時のTCは白黒画面でしたから、左の挿入写真は後刻「すぎやまこういち伝説」が放映されたときの画像です。ザ・ヒットパレードはフジテレビディレクターの椙山(すぎやま)浩一や渡辺プロダクションの企画力と指導力で始まったものでした。

これに総合司会がミッキー・カーチスや長沢純、演奏はスマイリー小原とスカイライナーズでした。当時未だ新人歌手だったふたごのザ・ピーナッツが加わりました。その後はピーナッツは大ヒットを連発し、多くの司会者や新人歌手の登竜門ともなりました。すぎやまこういちさんは今でのドラクエの作曲などで大活躍中です。ザ・ヒットパレードはテレビ界のその後の音楽番組の基本形ともなって、1970年まで約12年もの長寿番組で高視聴率番組でした。

 

まとめ

昭和30年代のテレビはまだ白黒テレビ期間があって、中盤からオリンピックを見ようとカラーになっていきました。当時の記録画像は録画機器が貧弱でほとんど残っていません。昭和のじ~じやば~ばの脳裏に残っているだけというには寂しいかぎりです。

 

1950年代の名作邦画については、こちらの記事に詳しく書いてありますのでチェックしてみてください。

>>>昭和の名作邦画 1950年代懐かしすぎっ!

\ SNSでシェアしよう! /

showa-loveの注目記事を受け取ろう

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

showa-loveの人気記事をお届けします。

  • 気に入ったらブックマーク! このエントリーをはてなブックマークに追加
  • フォローしよう!

ライター紹介 ライター一覧

tsuzuki

この人が書いた記事  記事一覧

  • 昭和のアメリカ西部劇映画 ヒット10

  • 昭和の名作邦画Ⅱ 1960年代懐かしすぎっ!

  • 昭和の名作邦画 1950年代懐かしすぎっ!

  • 昭和30年代のヒット TV番組Ⅱ 懐かしすぎっ!