1. TOP
  2. 昭和その他
  3. 懐かしい昭和の自動車!マイカーは夢とステータスだった

懐かしい昭和の自動車!マイカーは夢とステータスだった

「日本車」は世界が認める高品質ブランドであることは周知の事実です。

昭和は日本経済が飛躍的に成長した時代でした。とくに戦後は欧米から入った新しい商品を、独自に改善し、発展させてきましたね。

それらは、「日本製」という絶対的なブランドとして今や全世界に認められ、高品質の証となっています。

今回は、その主軸である日本の自動車を、各年代の出来事とともにピックアップしてみました。

参考サイトURL|https://www.toyota.co.jp/Museum/collections/list/data/0122_ToyopetCoronaModelRT102.html

 

昭和のタバコについての詳しい記事はこちらをご覧ください。

>>>昭和のタバコの喫煙率は8割超え?背景と銘柄を解説!

 

1950年代(昭和25年~34年)|高度経済成長期とマイカー

トヨタ|トヨペット・クラウン

出典:http://www.toyota.co.jp/Museum/collections/list/data/0120_ToyopetCrownModelRS.html

トヨペット・クラウン(1955年)。日本初の純国産自動車は、昭和30年に発売されました。戦争中は、国策としてトラックのみを作ることや、部品は海外のものとされ、日産の前身であるダットサンなどはそれに準じていましたが、トヨタの前身である豊田自動織機製作所の技術者たちの心の火は燃えていました。

すべての部品を国産でつくりたい!そして誕生したのがクラウンです。人々は豊かさを求めていました。特徴的な観音開きのドア。内装も豪華で、重厚な高級感が、上流階級の人に好まれ、公用車やタクシーとして人気となりました。

ダイハツ・ミゼット|オート三輪車

出典:http://www.toyota.co.jp/Museum/collections/list/data/0075_DaihatsuMidgetModelDKA.html

ダイハツ・ミゼット(1957年発売)。ミゼットはほかにも、サイドにドアがあるタイプもあります。まだ道路はでこぼこでした。経費を削減した作りで、サイドの窓はガラスでなく、ビニール製でペコペコしていました。三輪は小型車ですが、ボディを大きくして荷物が積めるものも作られました。しかし重量が多すぎたり、高く積み上げすぎて、バランスを崩し、道路で横転してしまうことも多かっようです。

1954年(昭和29年)に国は自動車の普及のため、ボディーの大きさとエンジンの規定を大衆車の普及のため360ccに改定。しかし、まだまだ値段も高く、公的な使用がほとんど。その中、大衆に人気となったのがこの車種です。ただ目的は商業用でした。

富士重工|スバル

出典:http://www.toyota.co.jp/Museum/collections/list/data/0073_Subaru360ModelK111.html

スバル(1958年)。スバルは富士重工の自動車部門のブランド名で元祖マイカーといえる車です。時は高度経済成長期の昭和33年。日本初の国民車(大衆車)として爆発的人気になった理由は、カッコいい外車より、細い道に合う小型車だったことと、値段が安く、ミゼットと違い家族と乗れる乗用車であったことでしょう。

スバルの登場により、大衆車およびマイカーが庶民の間に徐々に広まっていきます。形状がドイツのフォルクスワーゲンと似ていることから、「てんとう虫」という愛称で呼ばれました。さらに昭和61年にトヨタからパブリカが発売。軽自動車(小型車)が日本の中で大衆車として定着していきました。

1960年代(昭和35年~44年)|オリンピック・高速道路・GNP

トヨタ|カローラKE10型

出典:https://www.toyota.co.jp/Museum/collections/list/data/0103_ToyotaCorollaModelKE10.html

トヨタ・カローラKE10型(1966年)。言わずと知れた日本の国民車ですね。発売から33年間もの間、車名別日本国内販売台数第1位の実績でした。1966年10月に誕生した力ローラはトヨタの最も成功したモデルであり、日本を真のモータリゼーション、つまり車によって地域に経済的発展もたらした大衆車といってもよいでしょう。

週末になると家族みんなで乗り込んで、お食事にいく。おじいちゃんおばあちゃんに会いに行くなどなど、お出かけが増えたのでしょう。外車は、カッコいいけど大きいから狭い道は厳しい。ガソリンを食うし、故障すると部品がなく時間もお金も税金もかかって維持費が大変。なにより本体が高くローンが組めないこともあったようです。

性能、経済面、快適性など、あらゆる面で消費者のニーズにマッチしていた愛すべき車です。

ダットサン|ブルーバード441型

出典:https://www.toyota.co.jp/Museum/collections/list/data/0234_DatsunBluebirdModel411.html

2代目ブルーバード(1965年)。「走るベストセラーに優美なデザイン」がキャッチフレーズで、日産初のモノコック・ボディの美しいヨーロピアンデザインが高級感を醸し出しています。前年には東京オリンピック開催されるなど、日本は右肩上がり。しかし、特徴であった尻下がりのシルエットが不評で、ライバルのトヨタ・コロナに販売台数でちょっとリードされてしまいました。

ダットサン|サニーB11型

出典:https://www.toyota.co.jp/Museum/collections/list/data/0080_DatsunSunnyModelB10.html

ダットサン・サニー(1966年)。2年後の昭和38年に東名高速道路が開通。いよいよ本格的に自動車社会となる第一歩が刻まれました。昭和40年代にはいると自動車の技術改革による量産体制が整い、コストのダウンに成功しました。2ドアセダンでデラックスとスタンダードの2種類(価格は46万円と41万円)。車名を一般公募にするなど乗用車を求める人がさらに増加。トヨタ・カローラの人気にせまる大衆車でした。

価格参考サイト:https://www.toyota.co.jp/Museum/collections/list/data/0080_DatsunSunnyModelB10.html

マツダ|コスモスポーツL10B型

出典:https://www.toyota.co.jp/Museum/collections/list/data/0151_MazdaCosmoSportModelL10B.html

マツダ・コスモスポーツ(1969年)。日本初のロータリーエンジンを搭載したマツダコスモスポーツを販売。美しいフォルムをしのぐ、その圧倒的な高い性能に世界は強烈な衝撃をうけました。

前年の昭和43年には日本はGNP世界第2位となり、東名高速道路が開通しました。こういったことを背景に、1963年第1回日本グランプリが開催され、すべての車に高性能化が進みました。

もはや車は移動の手段だけでなく、スピードやステイタスを競う手段になっていったのですね。国産のスポーツカーでは1966年のフェアレディzが人気車種でした。現在もモデルは引き継がれています。

1970年代(昭和45年~54年)|大阪万博・交通戦争・スーパーカーブーム

日産|セドリック・グロリア4ドアハードトップ

出典:http://www.eonet.ne.jp/~kitabaya/history/history.htm

日産・セドリック・グロリア4ドアハードトップ(1971年)。この車はトヨタのクラウンの対向車として頻繁にモデルチェンジを行いました。4ドアハードトップは日本初の仕様で、このモデルが出た時、後ろの扉はどうなっているのだろう?衝撃を受けた時に、簡単に外れたりしないのだろうかなど、驚いたことを記憶しています。

1970年に大阪万博が開催され、70年代はスピードやフォルムの優れた車が多数発表されました。
また、これらを誇示するかのようにスーパーカーブームが起き、プラモデルが飛ぶようにうれましたね。

しかし日本では保有人口が大幅に増加。1970年(昭和45年)交通事故死亡者が史上最悪の1万6765人。交通渋滞に加え、自動車の排気ガスによる大気汚染が問題に。当時はこれらの問題を「交通戦争」と呼んでいました。

ホンダ|シビック(1965年)

出典:https://www.toyota.co.jp/Museum/collections/list/data/0145_HondaCivic2-Door.html

日本の2ボックスカーの先駆けとなった車です。アメリカやヨーロッパにも人気で、特にヨーロッパでは、1973年に日本車としては初めて「ヨーロッパ カー オブ ザ イヤー」で3位に選ばれるなど、高い評価を得ました。シビックはホンダの戦略基軸車で世界中にシェアをもつホンダ車の中でも最も長く同一車名で販売されている車です。

世界市場を見渡せば、海を越えたアメリカマスキー法が欧州の反発で廃案に。しかし、廃棄汚染対策は世界中の課題して浮き彫りとなりました。また前半のオイルショックでは、エネルギー問題も浮上しました

トヨペット|コロナ

出典:https://www.toyota.co.jp/Museum/collections/list/data/0122_ToyopetCoronaModelRT102.html

「予防安全」をキーワードに作られた車です。前後で衝撃を効果的に吸収するボディや、衝撃吸収バンパー、異常を知らせる「OKモニター」など、安全性へのさまざまな対策がを取り入れ開発されています。排ガス浄化システム「TTC-C」も採用。

厳しくなった排出ガス規制などは、日本車の技術力を世界にアピールすることに。アメリカのキャデラックなど、大型車は豪華ですが燃費が悪い。1973年のオイルショックは、排気ガス以上にこれからの自動車の転換を突きつけたのです。これに比べ、日本車はもともと燃費のよい独自の小型車をたくさん製造していました。前半ピークを迎えた第二次オイルショック後はこれらの日本車がアメリカ市場で大人気となりました。

高い品質とサービス。それが日本車ブランドです。

1980年代(昭和55年~64年)|日本車の黄金期

マツダ|ユーノスロドスター

出典:https://www.toyota.co.jp/Museum/collections/list/data/0160_EunosRoadster.html

ユーノスロドスター(1989年)。小型オープン2シータースポーツカー。発売後瞬く間に世界中で大反響を呼びました。

欧米で発明された自動車は、1980年に自動車生産台数がアメリカを抜いて世界第1位に!これがキッカケで日米間の貿易摩擦でギクシャク。でも、アメリカは日本の価値を一番知っている国でもあります。レクサス・イニフィニティ・アキュラがアメリカ市場でブランドとして認められました。働く車として昭和のはじめに登場した日本車は、ソアラ(1980)・ユーノスロドスター(1989年)・レクサス(1990年)へと成長し続け、バブルへと突入し、時代は平成へ移っていったわけです。

いかがでしたか?
懐かしい車がいくつかあったのではないでしょうか?車にのって思ったこと、車と一緒にいった場所。時にはあなたの好きな昭和の車を眺めて、その当時にひたってみるのも悪くないのではないでしょうか。

 

車のcmもありましたね!詳しくはこちらを見てみてください。

>>>昭和のテレビcm12選!懐かしいフレーズ盛りだくさん!

\ SNSでシェアしよう! /

showa-loveの注目記事を受け取ろう

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

showa-loveの人気記事をお届けします。

  • 気に入ったらブックマーク! このエントリーをはてなブックマークに追加
  • フォローしよう!

ライター紹介 ライター一覧

hasumi

hasumi

この人が書いた記事  記事一覧

  • 昭和のヒット玩具のゲーム特集!これぞレトロ!楽し癒しの世界

  • 懐かしい昭和の自動車!マイカーは夢とステータスだった

  • 懐かしいだけじゃない!昭和のイラストはかわいいの原点

  • 昭和のcm12選!懐かしいフレーズや音楽は当時の最先端だった